フランス革命における国民公会成立(1792.9.21)からナポレオンの皇帝就任(1804.5.18)までの、フランス最初の共和政体。第一共和政は、国民公会期、総裁政府期および統領政府期に区分することができ、国民公会期はさらにジロンド派政権期、山岳派独裁期およびテルミドール派政権期に分かれる。普通直接選挙を定めた民主的な山岳派憲法(1793年憲法)は実施されずに終わり、テルミドール派憲法(1795年憲法)で制限選挙に復帰、議会と政府を切り離した総裁政府が二院制・五総裁で発足した(1795.10)。しかし政局は安定せず財政も乱れたため、1799年にシエイエスなどが、政治的自由を狭めて行政権力を強めた統領制憲法を作成し、三統領・三院制を設けた。第一統領ナポレオンは1802年、終身統領となり、さらに2年後皇帝に就任して専制的性格を強めた。フランス銀行が設置されて資本主義発展の礎(いしずえ)が築かれるのもこのナポレオン統領の時期である。
[岡本 明]
『西海太郎著『フランス政治史』(1960・学芸書房)』
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…単に王政が廃止されただけではなく,ブルジョアジーと自由主義的貴族との同盟によって革命を妥協的な形で終結させようとする方式そのものが破産し,内外の強力な反革命勢力を前にして,ブルジョアジーは,民衆や農民の力を借りざるをえず,それらとの同盟によって革命を徹底的に推し進めるほかはなくなったのである。同年9月,さきに91年の憲法によって成立していた議会(立法議会)は解散され,新たに普通選挙によって国民公会が召集され,9月22日をもって共和政が樹立された(第一共和政)。国民公会に代表されていたのは依然としてブルジョアジーであったが,その内部には,民衆や農民との同盟を拒否してブルジョアジーだけの利害を守ろうとする右翼のジロンド派と,革命遂行のためには民衆や農民との同盟が不可避であることを認める左翼の山岳派とがあり,後者は,パリに本部を置き全国に下部組織をもつジャコバン・クラブと密接につながっていた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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