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フランス革命中に,憲法制定国民議会,立法議会のあと,初めて男子普通選挙(ただし2段階選挙)により召集されたフランスの議会。1792年9月21日の第1回会議から95年10月26日の解散まで,3時期に分けられる。第1期は,約750名の議員のうち過半数を占める中間派(〈平原派la Plaine〉とか〈沼派le Marais〉と呼ばれた)をはさんで右派のジロンド派と左派の〈山岳派〉が対立した時期である。はじめジロンド派は山岳派に対して優勢であったが,対外戦争の敗北,国内の反革命の激化と社会経済危機などの内外の革命の危機に有効に対処しえず,しだいに中間派の支持を失い,また立憲君主派や王党派との妥協をはかったために,93年6月2日,パリ民衆の包囲のなかで議会から追放された。第2期はそのジロンド派の追放から94年7月のテルミドールの反動までの,いわゆるジャコバン派独裁の時期である。この間,公会は,封建制の無償廃棄や亡命貴族の財産を貧農のために小分割して長年賦で売却する法令,一般最高価格法などの民衆の要求する立法を次々と制定する一方,戦争の遂行と革命の危機を克服するために,93年憲法の実施を一時停止し,いっさいの行政権を公安委員会を中心とする革命政府にゆだねて,恐怖政治を施行させた。しかし94年春から戦況が好転し,危機も解消される兆しがあらわれると,議会の多数派は恐怖政治の緩和を望み,革命暦2年テルミドール9日,ロベスピエール派を逮捕,処刑させた。第3期はそのテルミドールの反動から95年10月の解散までで,公会は,保守的共和主義者の指導下に,恐怖政治の停止と革命政府の解体などの,フランスを平常の体制に復帰させる政策をとり,再び制限選挙制を採用した91年憲法に近い,ブルジョア的な〈1795年憲法〉を制定した。公会解散後は,2/3以上の議員を旧公会議員から選挙する元老会と五百人会が召集された。なお,国民公会は十進法,メートル法の採用など,今日にもかかわる重要な業績を残している。
執筆者:小井 高志
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フランス革命の第3回めの議会。革命の最終段階を彩った。1792年8月10日パリ市民の蜂起(ほうき)により、王権の停止後に、立法議会にかわって成立した。92年9月21日から95年10月26日まで存続。議員749名は最初の人民投票で選ばれ、即日王制を廃止して、共和制の実施を宣言。革命暦の採用をも決議した。議場では右翼にジロンド派、左翼に山岳派(ジャコバン党)が対峙(たいじ)したが、両派ともせいぜい120名前後の頭数をそろえるのみ。圧倒的多数が中間の平原派(もしくは沼沢派)に所属した。ジロンド派は平原派の票により、内閣の首班にロランを据え、与党の立場につくが、国王の裁判問題で足並みを乱し、93年1月のルイ16世処刑の投票で、山岳派に勝ちを譲った。
一敗地にまみれたジロンド派は挽回(ばんかい)を策し、山岳派に攻撃を加えたが、自党と親密な将軍デュムーリエの変節により人気を失ったうえ、自由主義政策に固執して、戦時下の生活苦にあえぐ小市民、無産者層から見放され、1793年6月2日の暴動を機に、28名の領袖(りょうしゅう)を除名され、完全に骨抜きにされた。以来、山岳派の独走体制が樹立されるが、山岳派も、地方に潜入して反抗を継続するジロンド派議員や王党派の陰謀に苦しみ、さらに革命戦争の遂行上、「総動員法」や「一般最高価格制」や「反革命容疑者取締法」などを施行し、総力戦の態勢を整えるにつれ、恐怖政治へと突入する。93年10月、国民公会の公安委員会は「革命政府の成立」を宣言し、ロベスピエールら12名の独裁機構を実現し、ジャコバン党内のエベール派、ダントン派を粛清して、94年4月には文字どおり行政、統帥、外交の大権を掌握した。が、7月末に議会の反撃を浴びて、ロベスピエールらが失脚し、革命のドラマが終幕する。と同時に、一部山岳派と平原派との提携が成り立ち、革命政府の構想は打ち崩されて、ブルジョア共和主義派が国民公会を指導した。
[金澤 誠]
1792年9月21日~95年10月26日のフランスの議会。ジロンド派と山岳派の抗争期(93年6月まで),山岳派の独裁期(94年7月まで),テルミドール反動期(95年10月まで)の3期に分かれる。93年6月に共和政の93年憲法を可決しながら,その実施を延期して革命独裁制をとり,95年憲法を制定後,総裁政府にとって代わられた。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…単に王政が廃止されただけではなく,ブルジョアジーと自由主義的貴族との同盟によって革命を妥協的な形で終結させようとする方式そのものが破産し,内外の強力な反革命勢力を前にして,ブルジョアジーは,民衆や農民の力を借りざるをえず,それらとの同盟によって革命を徹底的に推し進めるほかはなくなったのである。同年9月,さきに91年の憲法によって成立していた議会(立法議会)は解散され,新たに普通選挙によって国民公会が召集され,9月22日をもって共和政が樹立された(第一共和政)。国民公会に代表されていたのは依然としてブルジョアジーであったが,その内部には,民衆や農民との同盟を拒否してブルジョアジーだけの利害を守ろうとする右翼のジロンド派と,革命遂行のためには民衆や農民との同盟が不可避であることを認める左翼の山岳派とがあり,後者は,パリに本部を置き全国に下部組織をもつジャコバン・クラブと密接につながっていた。…
※「国民公会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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