筈見 恒夫
ハズミ ツネオ
昭和期の映画評論家,映画プロデューサー
- 生年
- 明治41(1908)年12月18日
- 没年
- 昭和33(1958)年6月6日
- 出生地
- 東京・京橋木挽町
- 本名
- 松本 英一
- 学歴〔年〕
- 攻玉社中学中退
- 経歴
- 早くから映画を好み、「キネマ・ニュース」「新映画」を経て、昭和8年ユナイト、9年東亜商事宣伝部長となる。戦時中は上海で中華電影に入り、戦後東宝製作者の後、26年東和宣伝部長に復帰する。映画製作に携わったものに「幸福の招待」(22年)などがある。著書に「現代映画論」「現代映画十講」などがある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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筈見恒夫 はずみ-つねお
1908-1958 昭和時代の映画評論家。
明治41年12月18日生まれ。昭和6年「新映画」を発刊。9年東和商事宣伝部長となり,ヨーロッパ映画の宣伝につとめ,そのかたわら評論活動をつづける。戦後,一時映画製作者となったが,26年東和商事(のちの東和映画)宣伝部長に復帰した。昭和33年6月6日死去。49歳。東京出身。本名は松本英一。著作に「現代映画論」「写真映画百年史」。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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