日本歴史地名大系 「箕輪新田村」の解説 箕輪新田村みのわしんでんむら 山形県:飽海郡遊佐町箕輪新田村[現在地名]遊佐町直世(すぐせ)落伏(おちふし)村の西にあり、鳥海山西側山麓に位置する。地内の舟森(ふなもり)遺跡・箕輪遺跡は縄文時代の集落跡、箕輪館跡は鎌倉―室町時代の館跡。慶長一三年(一六〇八)亀(かめ)ヶ崎(さき)城(現酒田市)城代志村光安の俳客山本宗佐は箕輪館を訪ね、「身の上に思へば近しうは玉の黒かみ山の雪のすがたも」と詠んだといわれる(出羽国風土略記)。寛文三年(一六六三)向宮田(むかいみやだ)村肝煎次右衛門と当村兵三郎が升川(ますかわ)谷地四〇町のうち二町を新田として開き、翌年升川山を畑として起こして当村が成立、次右衛門が肝煎となった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by