改訂新版 世界大百科事典 「箱根竹ノ下の戦」の意味・わかりやすい解説
箱根竹ノ下の戦 (はこねたけのしたのたたかい)
1335年(建武2)12月,箱根・足柄一帯で行われた,足利尊氏・直義兄弟と建武政権方の新田義貞軍との合戦。南北朝内乱のおもな序盤戦の一つ。同年11月尊氏・直義兄弟は建武政権に公然とそむいたので,後醍醐天皇は義貞に尊氏らの追討を命じた。義貞は官軍を率いて東下し,足利方を三河に破り,さらに直義を駿河の手越河原に破った。直義は退いて箱根の水飲(みずのみ)(三島市山中付近)に陣した。直義の敗退を聞いた尊氏は鎌倉を発し,12月11日竹ノ下道を迂回して足柄の御坂(みさか)にいたり,足柄明神の南に陣した義貞軍の支隊を大いに破ったので,水飲の直義軍を攻めていた義貞軍の主力も退いた。尊氏はさらに大友貞載(さだのり)らの寝返りを得て,義貞軍を12日佐野山,13日伊豆府中(三島市)に連破し,義貞軍は総崩れになって西走した。ここに尊氏・直義は義貞軍を追撃して西上し,やがて幕府を開設するにいたる。
執筆者:小川 信
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報