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(瀧浪貞子)
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第60代に数えられる天皇。在位897-930年。父は宇多天皇,母は女御胤子(藤原高藤女)。諱(いみな)は敦仁。893年(寛平5)立太子。897年に元服,即位。治世のはじめは父上皇の意志で藤原時平,菅原道真が並んで補佐の任にあったが,まもなく道真は時平派により,天皇の廃立を謀ったとされて失脚。時平の死後はその弟忠平が政権の中心となった。天皇は親政を行い,地方政治や制度・文化面に実績をあげ,後世高く評価された(延喜・天暦の治)。しかし一方では道真の怨霊の恐怖に悩まされた治世でもあった。時平はじめその一党や,皇太子保明親王,同慶頼王の死も怨霊のたたりとされ,ことに930年の清涼殿の落雷に衝撃をうけた天皇は同年皇子寛明親王(朱雀天皇)に譲位,数日後没した。天皇は皇后穏子(藤原基経女)以下女御・更衣も多かったので,皇子女も源氏賜姓者を含めて多くを数える(醍醐源氏)。陵は京都市山科区の後山科陵。
執筆者:黒板 伸夫
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第60代天皇(在位897~930)。宇多(うだ)天皇第一皇子。母は内大臣正三位藤原高藤(たかふじ)の女胤子(むすめいんし)。諱(いみな)は敦仁(あつぎみ)。893年(寛平5)4月立太子、897年宇多天皇から禅を受け即位。このときの伝国詔命に藤原時平(ときひら)と菅原道真(すがわらのみちざね)を重用せよとの指示があり、左右大臣として両人が天皇の治政を補佐した。しかし両者の間に反目が生じ、901年(延喜1)道真は時平により讒(ざん)され、大宰権帥(だざいのごんのそち)に左遷され、以後、時平の専権体制が確立し、律令(りつりょう)原則に立ち返った復古路線に基づく施策が打ち出された。時平没後はその弟忠平(ただひら)が太政官(だいじょうかん)の首班となり、時平とは異なる現実主義的路線を採用し、律令支配原理とは異なる支配方式で臨んだようである。政治面において困難に陥っていたが、国史や格式ないし『古今和歌集』の編纂(へんさん)が行われ、文化面では栄えるところがあった。晩年の天皇は流謫(るたく)に処した道真の怨霊(おんりょう)に悩まされ、930年(延長8)朱雀(すざく)天皇に譲位、落飾して即日崩御。陵墓は伏見(ふしみ)の後山科(のちのやましな)陵。
[森田 悌]
『森田悌著『王朝政治』(教育社歴史新書)』
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885.1.18~930.9.29
在位897.7.3~930.9.22
宇多天皇の第1皇子。名は維城,のち敦仁(あつぎみ)。母は藤原高藤の女胤子。893年(寛平5)皇太子となり,897年13歳で元服したその日に,父の譲位をうけて践祚した。このとき父から与えられたのが「寛平御遺誡(ごゆいかい)」である。はじめ父により妃に為子内親王を配されたが,為子の死後,父との対立がうまれたらしい。901年(延喜元)菅原道真の失脚後,藤原穏子(基経の女)を入内させ,穏子の生んだ子に皇位を継承させた。その治世は「延喜の治」と称され,村上天皇の「天暦の治」とともに聖代とみなされた。日記「醍醐天皇宸記」。
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…平安中期の醍醐天皇(在位897‐930),村上天皇(在位946‐967)の治世を後世に理想化したたえたもので,ともに治世の代表的年号を冠した呼称。唐の太宗の〈貞観の治〉,玄宗の〈開元の治〉などにならったものであろう。…
…小秘事物。醍醐天皇は延喜の聖帝ともいわれる帝だった。宇多法皇の第1皇子である。…
…その中には中世に活躍する佐々木一族を含む近江源氏がある。また醍醐天皇の皇子克明,代明,重明,常明,式明,有明,行明ら諸親王の系統の皇孫で源姓を与えられたものは十数名にのぼり,とくに天皇の皇子源高明は史上有名であって,その弟3人も同じ源姓を賜っている。 ついで村上天皇からは皇子昭平親王が源姓となったほか,致平,為平,具平の諸親王の皇子たちがそれぞれ源氏となった。…
… 空海より約半世紀後の円珍の書状を見ると,細い墨線の筆触に柔らか味を増して,和様化が急激に進んだ書風である。また,嵯峨天皇より約1世紀を経た醍醐天皇には,《白氏文集》を大字で揮毫した巻物が遺存するが,草書の率意の書でまったく和風の線質となり,小野道風の《玉泉帖》に通ずるところが見え,和様書道の成立期にいたったことを物語っている。この時期が三蹟(小野道風,藤原佐理(すけまさ),藤原行成(ゆきなり))の時代で,道風によって代表される。…
…醍醐天皇の日記。《延喜御記》などともよばれる。…
…惟喬(これたか)親王を職能の祖とする木地屋(きじや)の由緒書と偽文書も,神祇官を通じて天皇に属した轆轤師(ろくろし)の伝統を背景に,江戸時代に入ってから全国の木地屋を組織するために作られたものと思われる。また被差別部落には,〈河原巻物〉ともいわれ,その職能・特権,差別の由来を語るさまざまな由緒書が伝わっているが,そこにしばしば現れる〈延喜御門〉(醍醐天皇)は,16世紀に塩売りとして活動した坂の者(非人)の正当な文書(〈北風文書〉〈八坂神社文書〉)にも現れるので,この由緒書も単に江戸時代に捏造(ねつぞう)されたものではなく,戦国時代のなんらかの事実・伝統を背景にしているのである。このほか,近江保内(ほない)商人の後白河天皇の偽綸旨(りんじ)とつながる由緒書をはじめ,職人の伝える偽文書には由緒書が結びついていたものと思われるが,これらのうち,またぎの〈山立根元巻〉が源頼朝にその特権の起源を結びつけているように,東国の職人には頼朝や徳川家康にみずからをつなげているものが多い。…
※「醍醐天皇」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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