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醍醐天皇 だいごてんのう

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

醍醐天皇
だいごてんのう

[生]元慶9(885).1.18. 京都
[没]延長8(930).9.29. 京都
第 60代の天皇 (在位 897~930) 。名は敦仁。宇多天皇の第1皇子。母は内大臣藤原高藤の娘,贈皇太后胤子。寛平5 (893) 年皇太子となり,同9年 13歳で即位。父帝が左大臣藤原時平右大臣菅原道真に新帝を補佐させたときの遺誡は『寛平御遺誡』として有名である。

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デジタル大辞泉の解説

だいご‐てんのう〔‐テンワウ〕【醍醐天皇】

[885~930]第60代天皇。在位897~930。宇多天皇の第1皇子。名は敦仁(あつぎみ)。藤原時平菅原道真を登用し、延喜元年(901)に菅原道真が藤原時平に讒(ざん)されてからは、時平を重用して親政を行い、後世「延喜の治」と称された。治世中に「三代実録」「古今集」「延喜格式」を編纂(へんさん)させた。

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百科事典マイペディアの解説

醍醐天皇【だいごてんのう】

平安前期の天皇。宇多天皇の皇子で,897年宇多天皇の譲位により即位,930年まで在位。左大臣藤原時平,右大臣菅原道真(みちざね)の補佐を受けたが,道真は左遷され,時平の死後は忠平の補佐を受け,直接政治を行った。
→関連項目意見十二箇条宇多天皇菅家文草寛平御遺誡古今和歌集信貴山縁起絵巻多武峯少将物語三善清行吏部王記

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

醍醐天皇 だいごてんのう

885-930 平安時代前期-中期,第60代天皇。在位897-930。
元慶(がんぎょう)9年1月18日生まれ。宇多天皇の第1皇子。母は藤原胤子(いんし)。父の譲位をうけ,13歳で元服と同時に即位。菅原道真(みちざね)左遷後は藤原時平に実権をにぎられる。政治・文化両面に積極的で,荘園整理令を施行し,「日本三代実録」「古今和歌集」「延喜格(えんぎきゃく)」「延喜式」などを完成させた。病気のため延長8年譲位。延長8年9月29日死去。46歳。墓所は後山科陵(のちのやましなのみささぎ)(京都市伏見区)。諱(いみな)は維城,敦仁(あつひと)。別名に延喜帝,小野天皇,後山階帝。法名は金剛宝。日記に「醍醐天皇御記」。
【格言など】春風の吹かぬ世にだにあらませば心のどかに花は見てまし(「続後撰和歌集」)

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朝日日本歴史人物事典の解説

醍醐天皇

没年:延長8.9.29(930.10.23)
生年:元慶9(885)
平安前期の天皇。平安時代では最長の33年間在位した天皇。宇多天皇と藤原高藤の娘胤子の長男。名は維城のち敦仁。寛平5(893)年皇太子となり,4年後に即位したが,その際父宇多から帝王の心得を記した「寛平御遺誡」を与えられた。その教訓に従って当初は藤原時平と菅原道真を重用し,それぞれ左・右大臣に任じて政務を推進したが,昌泰4(901)年,道真を大宰府(太宰府市)の名目だけの権帥に左遷した。時平らの謀るところで,以後時平が主導権を握る。延喜2(902)年,時平と共に班田の励行や荘園整理令の発布など一連の政治改革を推進する一方,『三代実録』をはじめ『延喜式』『古今和歌集』などの編集,勅撰といった文化事業を行い,これらが在位中摂政,関白を置かなかったこととあいまってその治世を「延喜の治」と呼び,理想的な時代とみる見方(延喜聖代観)を生んだ。延長1(923)年皇太子保明親王が21歳の若さで没し,道真の祟りと噂された。道真が怨霊として現れたとされる最初であるが,特に同8年6月,宮中に落雷し死傷者を出すという事件は怨霊の恐怖を実感させ,事件を苦にした醍醐はこのあと病気となり,翌年9月譲位,1週間後に出家(法名は宝金剛),その日右近衛府で亡くなった。そうしたことから醍醐自身地獄に落ちて責め苦を受けるといった伝承も生まれている(『扶桑略記』『十訓抄』)。墓は伏見区醍醐の 後山科陵。『醍醐天皇日記』は『宇多天皇日記』に次ぐ天皇日記として知られ,特に次の『村上天皇日記』と合わせて「二代御記」と呼ばれ,清涼殿の厨子に保管されのちの天皇の教訓の書とされた。

(瀧浪貞子)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

だいごてんのう【醍醐天皇】

885‐930(仁和1‐延長8)
第60代に数えられる天皇。在位897‐930年。父は宇多天皇,母は女御胤子(藤原高藤女)。諱(いみな)は敦仁。893年(寛平5)立太子。897年に元服,即位。治世のはじめは父上皇の意志で藤原時平,菅原道真が並んで補佐の任にあったが,まもなく道真は時平派により,天皇の廃立を謀ったとされて失脚。時平の死後はその弟忠平が政権の中心となった。天皇は親政を行い,地方政治や制度・文化面に実績をあげ,後世高く評価された(延喜・天暦の治)。

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大辞林 第三版の解説

だいごてんのう【醍醐天皇】

885~930) 第六〇代天皇(在位897~930)。名は敦仁あつぎみ。宇多天皇の第一皇子。菅原道真を右大臣に登用、延喜の治と称される天皇親政を行なった。この間、「古今集」「延喜格式」が編纂へんさんされた。

出典|三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

醍醐天皇
だいごてんのう
(885―930)

第60代天皇(在位897~930)。宇多(うだ)天皇第一皇子。母は内大臣正三位藤原高藤(たかふじ)の女胤子(むすめいんし)。諱(いみな)は敦仁(あつぎみ)。893年(寛平5)4月立太子、897年宇多天皇から禅を受け即位。このときの伝国詔命に藤原時平(ときひら)と菅原道真(すがわらのみちざね)を重用せよとの指示があり、左右大臣として両人が天皇の治政を補佐した。しかし両者の間に反目が生じ、901年(延喜1)道真は時平により讒(ざん)され、大宰権帥(だざいのごんのそち)に左遷され、以後、時平の専権体制が確立し、律令(りつりょう)原則に立ち返った復古路線に基づく施策が打ち出された。時平没後はその弟忠平(ただひら)が太政官(だいじょうかん)の首班となり、時平とは異なる現実主義的路線を採用し、律令支配原理とは異なる支配方式で臨んだようである。政治面において困難に陥っていたが、国史や格式ないし『古今和歌集』の編纂(へんさん)が行われ、文化面では栄えるところがあった。晩年の天皇は流謫(るたく)に処した道真の怨霊(おんりょう)に悩まされ、930年(延長8)朱雀(すざく)天皇に譲位、落飾して即日崩御。陵墓は伏見(ふしみ)の後山科(のちのやましな)陵。[森田 悌]
『森田悌著『王朝政治』(教育社歴史新書)』

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世界大百科事典内の醍醐天皇の言及

【延喜・天暦の治】より

…平安中期の醍醐天皇(在位897‐930),村上天皇(在位946‐967)の治世を後世に理想化したたえたもので,ともに治世の代表的年号を冠した呼称。唐の太宗の〈貞観の治〉,玄宗の〈開元の治〉などにならったものであろう。…

【延喜聖代】より

…小秘事物。醍醐天皇は延喜の聖帝ともいわれる帝だった。宇多法皇の第1皇子である。…

【源氏】より

…その中には中世に活躍する佐々木一族を含む近江源氏がある。また醍醐天皇の皇子克明,代明,重明,常明,式明,有明,行明ら諸親王の系統の皇孫で源姓を与えられたものは十数名にのぼり,とくに天皇の皇子源高明は史上有名であって,その弟3人も同じ源姓を賜っている。 ついで村上天皇からは皇子昭平親王が源姓となったほか,致平,為平,具平の諸親王の皇子たちがそれぞれ源氏となった。…

【書】より

… 空海より約半世紀後の円珍の書状を見ると,細い墨線の筆触に柔らか味を増して,和様化が急激に進んだ書風である。また,嵯峨天皇より約1世紀を経た醍醐天皇には,《白氏文集》を大字で揮毫した巻物が遺存するが,草書の率意の書でまったく和風の線質となり,小野道風の《玉泉帖》に通ずるところが見え,和様書道の成立期にいたったことを物語っている。この時期が三蹟(小野道風,藤原佐理(すけまさ),藤原行成(ゆきなり))の時代で,道風によって代表される。…

【醍醐天皇御記】より

…醍醐天皇の日記。《延喜御記》などともよばれる。…

【由緒書】より

惟喬(これたか)親王を職能の祖とする木地屋(きじや)の由緒書と偽文書も,神祇官を通じて天皇に属した轆轤師(ろくろし)の伝統を背景に,江戸時代に入ってから全国の木地屋を組織するために作られたものと思われる。また被差別部落には,〈河原巻物〉ともいわれ,その職能・特権,差別の由来を語るさまざまな由緒書が伝わっているが,そこにしばしば現れる〈延喜御門〉(醍醐天皇)は,16世紀に塩売りとして活動した坂の者(非人)の正当な文書(〈北風文書〉〈八坂神社文書〉)にも現れるので,この由緒書も単に江戸時代に捏造(ねつぞう)されたものではなく,戦国時代のなんらかの事実・伝統を背景にしているのである。このほか,近江保内(ほない)商人の後白河天皇の偽綸旨(りんじ)とつながる由緒書をはじめ,職人の伝える偽文書には由緒書が結びついていたものと思われるが,これらのうち,またぎの〈山立根元巻〉が源頼朝にその特権の起源を結びつけているように,東国の職人には頼朝や徳川家康にみずからをつなげているものが多い。…

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