日本歴史地名大系 「篠本郷」の解説 篠本郷ささもとごう 千葉県:匝瑳郡光町篠本村篠本郷匝瑳南条(そうさなんじよう)庄に属したとみられ、現篠本・小川台(おがわだい)付近に比定される。在地領主としては竹元・椎名両氏が知られる。応永一七年(一四一〇)の香取造営料足納帳(静嘉堂文庫)に「竹元(篠本)六郎殿分」として「竹元 田数一丁二反大卅五歩」とみえ、応永五―七年分の分銭九六〇文のうち四八〇文(反当り二五文)が同一四年二月二七日香取神宮の造営料として納められている。すでに建武期(一三三四―三八)とみられる年月日未詳の湛睿書状(金沢文庫文書)に、千田(ちだ)庄近傍の在地武士として千葉侍所竹元三郎左衛門尉が認められ、また神代本千葉系図中の飯竹(いいざさ)(飯篠)の用例からも、竹元を篠本とみて大過ないであろう。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by