日本歴史地名大系 「匝瑳郡」の解説
匝瑳郡
そうさぐん
〔古代〕
平城宮跡出土木簡に「□総国匝瑳□」とみえるのが郡名の早い例であるが、当郡の創置は物部小事大連が坂東を征した勲功により、匝瑳郡を建て本貫としたのが始まりと伝え、その郡名を氏名にしたという(「続日本後紀」承和二年三月一六日条)。弘仁三年(八一二)物部小事の子孫である外従五位上物部蹉連足継は鎮守府将軍に任じられ(「日本後紀」同年二月一〇日条)、承和元年(八三四)には主殿允正六位上物部匝瑳連熊猪が外従五位下に昇り、同じく鎮守府将軍に任じられている(「続日本後紀」同年五月一九日条)。この時まで匝瑳郡を本貫地としていたが、同二年宿禰の姓を与えられるとともに左京二条に本貫地を移している(同書前掲同年三月一六日条)。天平一三年(七四一)一〇月瑳郡
〔中世〕
平安時代末期匝瑳郡が分割・再編されて、郡域内には
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報