日本歴史地名大系 「篠橋新田」の解説 篠橋新田しのはししんでん 三重県:桑名郡長島町篠橋新田[現在地名]長島町小島(こじま)長島輪中にあり、小嶋(こじま)村の東の木曾川に浮ぶ小島にある。宝永七年(一七一〇)の長嶋新田御普請絵図(蓬左文庫蔵)に小島新田堤外に木曾川を隔ててみえている。長島一向一揆の五大拠点の一つで、太田修理亮の拠った篠橋城があった。「信長公記」天正二年(一五七四)七月一三日条に「しのはしより一揆罷出相支へ候、則、木下小一郎・浅井新八両人懸向かはれ候」とあり、同一五日条には「御敵城しのはせ・大鳥居・屋長嶋・中江・長嶋五ケ所へ楯籠るなり」と五大拠点が記され、「しのはせ攻衆」の名が列挙されている。一ヵ月の後同年八月一二日「しのはせ籠城の者、長嶋本坊主にて御忠節仕るべきの旨堅く御請申すの間、一命たすけ長嶋へ追入れらる」とあり同日降伏して城を明渡した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by