篠窪村(読み)しのくぼむら

日本歴史地名大系 「篠窪村」の解説

篠窪村
しのくぼむら

[現在地名]大井町篠窪

東は高尾たかお村・やなぎ村、西は神山こうやま(現松田町)、南は山田やまだ村、北は大住おおすみ村・渋沢しぶさわ(現秦野市)と接し、小田原道が北東から西南に通る。

建武四年(一三三七)三月七日、二階堂出羽民部大夫政頼は文保三年(一三一九)に亡父行貞から譲られた「相模国大井田郷内霜窪村地頭職」を安堵されるが(「足利直義安堵下文写」県史三)、この「霜窪村」は当村と思われる。この後、政頼の子孫は篠窪氏を称して歴代この地を支配し、戦国期には小田原北条氏に仕え活躍する(風土記稿)。天文四年(一五三五)九月二九日の篠窪百姓中座敷掟書(県史三)に「篠窪百姓中座敷之事」とあり、三嶋社拝殿における座次を一番から一〇番まで定めている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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