日本歴史地名大系 「篠籠田村」の解説 篠籠田村しこだむら 千葉県:柏市篠籠田村[現在地名]柏市篠籠田・あけぼの一―五丁目・旭町(あさひちよう)八丁目・西町(にしちよう)・豊四季台(とよしきだい)一―二丁目・同四丁目・かやの町(ちよう)・末広町(すえひろちよう)・明原(あけはら)一―四丁目・新富町(しんとみちよう)二丁目・豊上町(とよがみちよう)・柏五丁目など柏村の北西方、大堀(おおほり)川の右岸にあり、同川を挟んで北は高田(たかた)村。下総台地上に展開する上野(かみの)牧の北東にあたり、同牧が村を囲むように入り込んでいる。四つの小集落(坪)に分れており、新田(しんでん)坪(字篠塚)・中新田坪(字内野)は享保年間(一七一六―三六)の新田開発によってできた坪と思われ、村の中心は西光(さいこう)院(現真言宗豊山派)のある三間(さんげん)坪(字寺前)であった。大治五年(一一三〇)六月一一日、下総権介平経繁(常重)が伊勢皇太神宮に寄進した布施(ふせ)郷の南限は「志子田谷」ならびに手賀(てが)沼であった(「平経繁私領寄進状案」櫟木文書)。「本土寺過去帳」には明応七年(一四九八)一月一〇日に「シコタ」で妙経入道が、文亀三年(一五〇三)には「シコタニテ」祐信が、大永六年(一五二六)二月には「シコダ与五郎父」法正入道がそれぞれ没したことが記載される。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by