日本歴史地名大系 「柏市」の解説 柏市かしわし 面積:七二・九一平方キロ県の北西部に位置し、北西は野田市、西は流山市、南は松戸市、東は東葛飾(ひがしかつしか)郡沼南(しようなん)町・我孫子(あびこ)市、北東は利根川を挟んで茨城県北相馬(きたそうま)郡守谷(もりや)町・取手市と接し、東部は一部が手賀(てが)沼に臨む。標高は約五―三〇メートルと低く、緩やかな台地や平地が大半を占める。常磐自動車道・国道六号が南西―北東方向に並行して通り、両道と交差する国道一六号が南東―北西方向に走る。国道六号に並行してJR常磐線、国道一六号の南側を東武鉄道野田線が通る。〔原始―中世〕旧石器時代の中山新田(なかやましんでん)I遺跡・聖人塚(しようにんづか)遺跡、弥生―古墳時代の大集落遺跡である戸張(とばり)遺跡群、弥生時代後期の住居跡を含む鴻(こう)ノ巣(す)遺跡、五世紀前期―中葉の弁天(べんてん)古墳、五世紀後半の花野井大塚(はなのいおおつか)古墳、奈良・平安時代の製鉄遺跡を中心とする花前(はなまえ)II遺跡などがある。古代律令制下では葛飾郡・相馬郡の郡域であったと考えられ、古代の東海道下総国於賦(おふ)駅を市域に比定する説もある。市域の東部は平安時代末期に下総権介千葉常重が相馬郡布施(ふせ)郷を伊勢皇大神宮に寄進して成立した相馬御厨に含まれていたと思われる。同御厨はのちにその領域を相馬郡全域に広げていった。文明一〇年(一四七八)には市内境根(さかいね)原(酒井根原)で千葉孝胤と太田道灌が戦い(境根原合戦)、多くの戦死者を出している。〔近世〕現市域に所在した村は元禄郷帳では葛飾郡一九村・相馬郡三村の計二二ヵ村、天保郷帳では葛飾郡二二村(一部新田を除く)・相馬郡三村と手賀沼の開発で成立した印旛(いんば)郡に属する六新田であった。現在の国道六号の前身である水戸道が通り、市域の西部の下総台地には小金(こがね)五牧のうちの高田台(たかだだい)牧(北部)・上野(かみの)牧(南部)があった。支配関係は複雑で、元禄期(一六八八―一七〇四)以降、一四ヵ村は本多氏領であった。 柏市かしわし 2005年3月28日:柏市が東葛飾郡沼南町を編入⇒【沼南町】千葉県:東葛飾郡⇒【柏市】千葉県 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「柏市」の意味・わかりやすい解説 柏〔市〕かしわ 千葉県北西部,下総台地西端にある中核市。 1954年柏町,小金町の2町と土村,田中村の2村が合体して東葛 (とうかつ) 市として市制。同年富勢 (とみせ) 村の一部を編入して現市名に改称。 2005年沼南町を編入。北部は利根川に面する住宅・工業地区。中心市街地柏は水戸街道の宿場町として発展。第2次世界大戦時に東武鉄道が埼玉県の大宮まで開通するとともに軍事基地としての役割を果たした。戦後は常磐線の電化に伴い,東京の衛星都市として発展。特に 1963年の豊四季台団地 (→豊四季 ) 造成は住宅都市化に一時期を画した。北部には工業団地も造成された。 JR常磐線と東武鉄道野田線が交差する柏駅前は大手デパートやスーパーマーケットが進出し,商圏を拡大。農村部では近郊野菜を栽培,京浜市場に出荷している。東部の手賀沼一帯は印旛手賀県立自然公園に属する。国道6号線,16号線が通る。面積 114.74km2。人口 42万6468(2020)。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by