飢渇に苦しむ餓鬼のために,飲食を施す法会を施餓鬼会,略して施餓鬼という。施食(せじき)会とも冥陽(めいよう)会ともいう。中国では唐代に施餓鬼会に関する経典が訳出され,これらの経軌に基づいて法会が行われた。日本へは入唐僧によって経典と実修法がもたらされ,はじめは密教系の僧によって行われた。その後禅宗寺院でも実施され,鎌倉時代末期から諸宗間で行われた。現在でも真宗以外の各宗で広く修される。この法会は本来随時に修されたが,いつの時代からか,とくに盆に行うようになり,この施餓鬼の法会を指して盂蘭盆(うらぼん)会というようにさえなった。それほど盆施餓鬼は盂蘭盆中の代表的な行事となったのである。民間に盂蘭盆の行事が普及し,家の先祖とは別に,新亡の精霊(しようりよう)や餓鬼仏すなわち無縁の精霊たちにも飲食を施さなければ,家や村の者にとって安心できないという思いが高まってからであろう。
盆はもともと家の祖霊よりも,まつってくれる子孫をもたない餓鬼仏をまつるのが中心であったとの考えがある。中国では,盆に来る霊はまさに餓鬼であった。家の祖霊は各戸でまつり,家とは特定の関係にない無縁の餓鬼すなわち三界万霊は,新亡の精霊とともに村の寺院で共同祭祀として施餓鬼会を実施したのが本来であったと思われる。現在のように,家の祖先をも盆の施餓鬼会で供養するのは後世の形で,おそらく中世末期以降のことであろう。盆施餓鬼は盆行事の一環としてあるため,いわば定期的に行われる法会であるが,そのほか,とくに戦争,天災地変などで不慮の死者が出たときに随時に修された。溺死者やお産で死んだ女性,また魚類の供養などは,舟中や川辺で施餓鬼会が行われた。これを川施餓鬼という。施餓鬼会の作法は経軌によるが,宗派による相違が多少みられる。
→盂蘭盆会
執筆者:伊藤 唯真
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悪道に堕(お)ちて飢えに苦しむ餓鬼に飲食物を施すこと。施餓鬼会(え)の略。水陸会(すいりくえ)ともいう。餓鬼はサンスクリット語プレータpretaの訳で、「死者」または「死者霊」を原義とし、のちには子孫が絶えて供養(くよう)がなされず、つねに飢餓に苦しむ亡霊の意味がある。仏教では吝貪(りんどん)で布施せぬ者が死後、餓鬼に生まれ、飢渇に苦しむとされ、彼らの住む餓鬼世界(餓鬼道)は六道輪廻(りんね)の一となった。中国では、飢餓に悩む鬼神や餓鬼に飲食を施す餓鬼供養の法会が発展し、また、『盂蘭盆経(うらぼんぎょう)』の目連(もくれん)救母伝説と合して、悪道に堕ちて苦しむ先祖供養のための法会ともされた。とくに唐代には多くの経軌(きょうき)が編纂(へんさん)され、日本にも空海らにより将来された。施餓鬼会は最初真言(しんごん)宗で、鎌倉期以降は浄土真宗を除く各派で行われるようになり、今日に至っている。各派で儀式の内容はいくぶん異なるが、いずれも新亡精霊の冥福(めいふく)と無縁仏(むえんぶつ)への追善供養の意味が重なっている。盂蘭盆会に付随して行われることが多いが、本来は随時に行いうるものである。水死者やお産で亡くなった人のための川施餓鬼、水施餓鬼もある。
[奈良康明]
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…のち朝廷の恒例仏事となり,諸大寺でも行われ,しだいに民間の各寺院へ普及した。平安時代になると,空海など渡唐僧によって施餓鬼(せがき)の法が伝えられ,鎌倉時代にはこれが諸宗派に取り入れられ,室町時代には施餓鬼会が盛んに行われた。本来,盂蘭盆会と施餓鬼会は別種の法会であるが,餓鬼と無縁仏とが同じ意味で理解されるようになり,盆中または盆の前後に施餓鬼会が行われるようになった。…
※「施餓鬼」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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