米光保(読み)よねみつほ

日本歴史地名大系 「米光保」の解説

米光保
よねみつほ

平安時代成立の保。康和四年(一一〇二)八月一二日の丹波国司下文(東寺文書、以下同文書)に「米光保」とみえ、京都東寺領大山おおやま庄として認められた作田四町が、申請により別名と認められた。同年九月六日には庄田と認められた以外の七町余の作田のうち米光保以外の官物は庄家へ納めるよう国司庁宣が下されているので、当保の官物は国衙に納めるはずであったが、この年大山庄寄人は官物を納めなかったらしい。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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