米田庄(読み)よねだのしよう

日本歴史地名大系 「米田庄」の解説

米田庄
よねだのしよう

加茂郡にあった庄園。「中右記」承徳元年(一〇九七)二月六日条に「美乃国米田庄住人」とみえ、伊勢神宮役夫工使に対する庄民の乱妨行為があった。当庄の支配者は不明だが、この時期に確認できる加茂郡内の庄園の多くが摂関家領庄園であることから、摂関家との関係を考える必要があるかもしれない。永和元年(一三七五)一二月二日のおうこ放状案(大仙寺文書)に「米田嶋内細目郷右近入道名田」とみえ、寛正三年(一四六二)一一月日の善恵寺細目郷納所帳写(善恵寺文書)に「解脱山細目郷懸糸・同綿・同あをそ」とあって、「米田庄猿楽垣内延坂」などの地名がみえる。また永正元年(一五〇四)六月日の斎藤利安掟書(大仙寺文書)に「美濃国賀茂郡米田庄細目郷内、臨大仙寺」とあって、大仙だいせん(現八百津町)に「細目郷内葦渡半名」「細目郷神明之下地」などが寄進されていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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