粟斗村(読み)あわとむら

日本歴史地名大系 「粟斗村」の解説

粟斗村
あわとむら

[現在地名]鴨川市粟斗

花房はなぶさ村の北、待崎まつさき川右岸に位置し、東は和泉いずみ村。粟戸村とも記され(慶長一一年里見家分限帳など)正保郷帳・元禄郷帳など郷帳類には安波戸村と記される。慶長二年(一五九七)の安房国検地高目録に村名がみえ、高二三〇石余(うち田方一一三石余)、里見氏給人領。元和六年(一六二〇)東条藩領となる(東条藩領知目録)。正保郷帳では高二一六石余、うち田方一一四石余・畑方一〇二石余で、同藩領。元禄五年(一六九二)同藩主西郷氏の美濃国移封により幕府領となる(寛文朱印留・寛政重修諸家譜)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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