粟生城跡(読み)あおうじようあと

日本歴史地名大系 「粟生城跡」の解説

粟生城跡
あおうじようあと

[現在地名]鹿島町粟生

粟生の中央の舌状台地(標高三五メートル)の先端、字御城みじようにあった山城。城跡は三つの曲輪に区分され、西を御城、東を内御城うちみじよう、北側を外城とじようと称するが(鹿島町史)、現在は航空基地建設のため、南側が削土され、八幡神社が残るのみである。城主粟生氏は中世を通じて鹿島地方を支配した常陸大掾氏一族の鹿島氏の庶子家で、鹿島宗幹の第二子幹実が花山城を修築して居城としたといわれる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

《「晋書」杜預伝から》竹が最初の一節を割るとあとは一気に割れるように、勢いが激しくてとどめがたいこと。「破竹の勢いで連戦連勝する」[類語]強い・強力・強大・無敵・最強・力強い・勝負強い・屈強・強豪・強...

破竹の勢いの用語解説を読む