鹿島町(読み)かしままち

日本歴史地名大系 「鹿島町」の解説

鹿島町
かしままち

面積:一〇七・九三平方キロ

太平洋沿岸部の浜通り北部、相馬市原町市によって三区分された相馬郡の中央部東側に位置する。東は太平洋に臨み、南は原町市、西は飯舘いいたて村、北は相馬市。当町西部は阿武隈高地の東縁部にあたり、中部から東部は真野まの川およびその支流によって形成された沖積平野が広がる。町域の中部やや東側をJR常磐線と国道六号が並行するように南北に走り、JR鹿島駅西側に市街が形成されている。気候は表日本型を示し、年平均気温摂氏一一・八度、降水量約一二〇〇ミリ、温暖で積雪も少ない。真野川上流にある上栃窪かみとちくぼ遺跡は、複式炉をもつ縄文時代中期後半の敷石住居跡として注目されている。江垂の天神沢えたりのてんじんざわ遺跡は弥生時代中期後葉の遺跡で、石器を大量に出土したことで知られるが、とくにえぐりのある打製石鍬と石包丁などの石製農具が多い点が注目される。町域中部の真野川流域は、県下でも有数の古墳地帯といわれ、金銅製魚符(かつては金銅製双魚佩とされていた)を出土したことで注目された真野古墳群、および横手よこて古墳群・烏崎からすざき古墳群や江垂の大窪おおくぼ横穴群・大六天だいろくてん遺跡などの古墳時代の遺跡が多く、六―七世紀の鹿島地域と中央政権との関係や、真野の在地豪族の成長などが推測される。


鹿島町
かしまちよう

面積:二九・〇一平方キロ

八束郡の北部、島根半島のほぼ中央に位置し、北は日本海に面する。南は標高二〇〇メートル前後の北山山脈を境に松江市、西端には朝日あさひ(三四一・八メートル)がある。東は大平おおひら(五〇二・八メートル)を境に松江市・島根町。宍道湖に発した佐陀さだ川が日本海に注ぎ、同川と大平山を源にする講武こうぶ(一級河川、流路延長約一五キロ)が町の中央を貫流している。中央部の講武川流域と佐陀川下流域が平坦地となっており、農耕地を形成している。傾斜地では茶の栽培が行われている。海岸部には海水浴場として賑わう古浦こうら砂丘があるが、大部分は急崖が海に接している。これらの景観は一部、大山隠岐国立公園に指定されている。佐陀川が西に向かって流れを変える地点に縄文時代の佐陀講武貝塚がある。古浦砂丘では弥生時代から奈良時代にかけての墓地や集落跡が認められ、弥生時代の埋葬遺跡からは六〇体余の人骨が発見されている。講武地区から名分みようぶんにかけての広い耕地は連田れんだと称され、小規模な条里遺構が認められる。


鹿島町
かしままち

面積:四七・六八平方キロ

鹿島郡の南端に位置し、東から南は富山県氷見市、北は七尾市、北から西は鳥屋とりや町、西は鹿西ろくせい町、西から南は羽咋はくい市に接する。東側から南側にかけて石動せきどう(五六五メートル)を最高峰とする四〇〇―五〇〇メートル級の山地が続き、北側から西側には能登の穀倉邑知おうち地溝帯が広がる。各河川は石動山系から流出し、山麓部に数多くの小扇状地を形成している。北側を二宮にのみや川が北流、西側を長曾ながそ川が西流する。古くは南端近くまで邑知潟が迫っていた。

山麓部や尾根筋には数多くの縄文遺跡や古墳が分布し、とくに小田中親王塚こだなかしんのうづか古墳は北陸で最古・最大級の円墳。


鹿島町
かしままち

面積:五六・九五平方キロ

郡中央部にある。北は大野村、南は神栖かみす町に接し、東は鹿島灘、西は北浦・わに川に臨む。郡北部の鉾田ほこた町から南に走る鹿島台地の南端にあたり、東側の海岸は鹿島砂丘の北端にもあたる。

鹿島神宮が鎮座し、国鉄鹿島線の鹿島神宮駅がある宮中きゆうちゆう地区が町の中心地で、古くから鳥居前町として発展してきたが、近年は神宮南側にも家並が急速に広がり、商業地区としての体裁を整えつつある。台地北の湖岸沖積低地と南の平地は農村地帯で水稲・麦などが栽培されてきたが、最近はピーマン、胡瓜、トマト、キャベツなどの園芸作物を主とした都市近郊型農業へと変貌しつつある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「鹿島町」の意味・わかりやすい解説

鹿島〔町〕
かしま

鹿嶋市」のページをご覧ください。

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