糟塚塞跡(読み)かすづかのとりであと

日本歴史地名大系 「糟塚塞跡」の解説

糟塚塞跡
かすづかのとりであと

[現在地名]小坂井町小坂井 樫王

堀の内側は約三千平方メートル。堀の外側に土手をめぐらしてある。現在は曹洞宗大城山竜徳りゆうとく院の境内となっている。「三河国二葉松」に小坂井村砦として「号糟塚塞、今竜徳院境内也、小笠原新九郎長晟守焉」と記す。「武徳編年集成」永禄五年(一五六二)六月の項に「神君又吉田ノ城ヲ窺ヒ謀リ給ヒ、小坂井ニ砦ヲ築キ牛窪ノ城ヲ圧シ、為ニ兵ヲ籠ラル」とあり、同六年三月の項にも「神君宝飯郡小坂井牛窪ニ向テ砦ヲ築キ敵ヲ圧サヘ、且数回岡崎ヨリ巡視シ給フ」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む