日本の城がわかる事典 「紀伊太田城」の解説 きいおおたじょう【紀伊太田城】 和歌山県和歌山市太田にあった平城(ひらじろ)。戦国時代の羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)による「太田城水攻(みずぜ)め」で有名。紀伊太田城は延徳年間(1489~92年)に紀俊連(きのとしつら)が築城し、天正年間(1573~92年)に太田源太夫(おおたげんだゆう)によって修築されたとされ、太田党の本城であった。1585年(天正13)、秀吉の紀伊侵攻に抵抗した太田党と根来・雑賀衆の残党ら合わせて約5000人が太田城に立てこもった。秀吉軍は紀伊太田城を取り囲む総延長5~6kmにも及ぶ堤防を築き、水攻めを行った。籠城1ヵ月後、城主太田左近宗正ら太田一族は自刃し、開城した。現在、太田城水攻めの堤防跡が一部残っている。城内の遺構は残っていないが、現在の来迎(らいごう)寺境内が本丸跡と伝えられ、城跡碑が建っている。JR紀勢本線和歌山駅または南海電鉄和歌山市駅から徒歩5分。 出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報