( 1 )節用集や「日葡辞書」等ではライカウであり、ライガウと濁音化したのは近世以降と考えられている。
( 2 )臨終の際に阿彌陀仏来迎を願う場合の作法については、「往生要集‐大文六」の「臨終行儀」に記され、そのさまは中古以来の諸往生伝や「今昔物語集」などに描かれている。
( 3 )来迎の際の様子は、「西に紫雲たなびき、異香(いきゃう)室にみち、音楽そらにきこゆ」〔平家‐灌頂〕のようなかたちで、ほぼ定型化して表現される。
仏・菩薩が衆生(しゆじよう)を迎えに来ること。とくに念仏行者が臨終のときに,阿弥陀仏が諸菩薩とともに雲に乗り,死者のところへ迎えに来て,極楽浄土へ導き引きとることをいう。来迎引接(いんじよう)と熟し,迎接(ごうしよう)とも略する。阿弥陀仏の来迎は阿弥陀仏四十八願のうちの第十九願に示されている。第十九願は〈来迎引接の願〉とも〈聖衆来迎の願〉ともいわれ,〈たとい,われ仏となるをえんとき,十方の衆生,菩提心を発(おこ)し,もろもろの功徳を修め,至心に願を発して,わが国に生れんと欲せば,寿(いのち)の終るときに臨みて,(われ)もし,大衆とともに囲繞(いによう)して,その人の前に現ぜずば,正覚を取らじ〉(《無量寿経》)というものである。また《無量寿経》に三輩(さんぱい)往生,《観無量寿経》に九品(くぼん)往生が説かれ,仏菩薩来迎の種々相が示されている。日本では平安時代に,阿弥陀仏の来迎に対する信仰が興起した。源信は浄土をたたえるに十楽をもってしたが,その第1に〈聖衆来迎の楽〉をあげている(《往生要集》)。阿弥陀仏が来迎引接するさまを儀礼化した日本独特の迎講(むかえこう)(来迎会)が広く行われ,来迎図なるジャンルの浄土教美術が形成された。阿弥陀仏像には来迎印が用いられ,乗雲の来迎三尊の形像が製作されたり,さらに行者を護念する菩薩であった二十五菩薩が臨終のときに来迎引接する菩薩に性格が変わったのも,すべて来迎思想の高まりの結果である。〈弥陀の誓ひぞ頼もしき 十悪五逆の人なれど 一度(ひとたび)御名を称ふれば 来迎引接疑はず〉(《梁塵秘抄》),〈契り置く弥陀の浄土の西よりは迎えて見せよ極楽の道〉(西念《極楽願生歌》)などと,来迎を願望する歌も多くみられる。また阿弥陀仏像の手に五色の糸をかけ,これをみずからの手にもち,心正念(しようねん)に弥陀の来迎をまつ臨終行儀が重視されたが,法然は臨終の行儀に決定的な意義を認めなかった。法然によれば,阿弥陀仏はその本願のとおり必ず来迎するのだから,糸を引く必要もなく,また正念だから来迎があるのではなく,来迎があるからこそ臨終も正念でいられることになる,という(《逆修説法》)。法然は阿弥陀仏の来迎の真実性を説くが,来迎が実現するには生前の念仏こそが条件となることを強調した。真宗の教義では臨終来迎を必要とせず,浄土宗西山派では阿弥陀仏の救済のはたらきを来迎という。なお来迎図は阿弥陀仏に限らず,鎌倉時代以後に十一面観音菩薩,弥勒菩薩,薬師如来などの来迎図もつくられている。
→来迎図
執筆者:伊藤 唯真
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