細川雄二郎(読み)ホソカワ ユウジロウ

20世紀日本人名事典 「細川雄二郎」の解説

細川 雄二郎
ホソカワ ユウジロウ

明治・大正期の統計学者



生年
嘉永4年5月4日(1851年)

没年
大正4(1915)年7月23日

出生地
肥後国天草郡富岡町(熊本県)

別名
諱=吉尋,号=苓北

経歴
長崎和漢の学を修め、国立長崎第十八銀行に10年、九州鉄道会社に1年勤務の後、明治21年上京。25年「日本財政総覧」第1集を刊行。26年東京商業会議所の統計顧問となり、また貨幣制度調査会及び大蔵省の嘱を受けて財政経済の統計調査にあたる。41年第2集を刊行、42年には「日本財政年鑑」を発行し、以上の三部を以て明治中期までの国庫財政の基本的統計調査を行った。大正3年月刊「日本統計通信」を創刊した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「細川雄二郎」の解説

細川雄二郎

没年:大正4.7.23(1915)
生年:嘉永4.5.4(1851.6.3)
明治期の財政統計編纂者。明治期に財政統計の大編纂書「日本財政総覧 第壱輯(明治1年から明治23年度まで)」(1892),「同第弐輯(明治21年度から明治35年度まで・付録明治33年度から明治39年度)」(1908),「日本財政年鑑」(1907)を編纂した(いずれも国立公文書館蔵)。肥後国(熊本県)生まれ。長崎で和漢の学を修め,国立長崎第十八銀行に約10年,九州鉄道会社に1年勤務ののち,21(1888)年上京。立憲政治に必要な財政統計を編纂することを決意し,中井桜洲の賛同援助を得て第1輯を編纂,刊行する。第2輯刊行後,第3輯(明治40年度から明治45年度まで)を計画したが未完心臓病で死亡した。

(守岡隆)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「細川雄二郎」の解説

細川雄二郎 ほそかわ-ゆうじろう

1851-1915 明治-大正時代の統計学者。
嘉永(かえい)4年5月4日生まれ。明治25年「日本財政総覧」第1集,41年同第2集,42年には「日本財政年鑑」を刊行して,明治39年までの国庫財政の統計調査を完成させた。大正3年「日本統計通信」を創刊。大正4年7月23日死去。65歳。肥後(熊本県)出身。号は苓北。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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