苓北(読み)れいほく

改訂新版 世界大百科事典 「苓北」の意味・わかりやすい解説

苓北[町] (れいほく)

熊本県南西部,天草郡の町。天草下島の北西部にあり,東と南は山に囲まれ,北と西は天草灘に面する。人口8314(2010)。1955年富岡町,志岐村などが合体して苓北町となった。町名は,苓州(天草の異称)の北部に位置することにちなむ。富岡は天草灘に突出した砂州と陸繫島からなり,志岐はこの富岡半島の基部に位置する。平安時代の《和名抄》に志記郷と記された地で,鎌倉時代は志岐氏が志岐城に拠り一帯に勢威を振るった。関ヶ原の戦後,唐津藩領となり,陸繫島に富岡城が築かれた。島原の乱では激しい攻防戦があり,その吉利支丹供養碑(史)が富岡海岸に立っている。乱後天領となり,天草統治の代官所が富岡に置かれ,明治維新まで続いた。砂州上に細長く延びる富岡の町は旧城下町として古い町並みがいまなお残っている。現在,平地では米やレタス,山地ではミカンが栽培され,沿岸ではイワシ漁などが行われる。17世紀に始まった陶石採掘は南隣の天草町と合わせて全国一の生産高を誇る。江戸時代から行われた石炭採掘は,最盛期には7鉱山があったが,1975年に閉山した。富岡の海岸一帯は雲仙天草国立公園に含まれ,海中公園地区ともなっている。富岡にはかつてここを訪れた頼山陽詩碑勝海舟落書林芙美子文学碑もある。富岡港長崎市茂木港との間にはフェリーが通じる。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「苓北」の意味・わかりやすい解説

苓北(町)
れいほく

熊本県南西部、天草郡(あまくさぐん)天草下島(あまくさしもしま)の北西端にある町。1955年(昭和30)富岡(とみおか)町と志岐(しき)、坂瀬川(さかせがわ)の2村が合併改称し、町制施行。1956年都呂々(とろろ)村を編入。富岡湾に注ぐ志岐川下流域の低地ならびに都呂々川、年柄(としから)川、松原川沿いの樹枝状低地と低山地からなる。国道324号、389号が通じる。1960年代末まで無煙炭と陶石の採掘が盛んだったが、志岐炭鉱は1975年閉山した。現在は、1972年に完成した灌漑(かんがい)用志岐ダムからの給水によってレタスの産地形成化が確立したほか、傾斜地のミカン園も大規模に進んでいる。ウニ、アワビなどの漁獲にも恵まれている。北西端の富岡半島は雲仙天草国立公園に属し、海域公園、海水浴場、富岡城跡など観光資源に恵まれ、天然の良港である富岡港からは、富岡―茂木(長崎県)間に高速船が運航している。面積67.58平方キロメートル、人口7114(2020)。

[山口守人]

『『苓北町史』(1974・苓北町)』


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百科事典マイペディア 「苓北」の意味・わかりやすい解説

苓北[町]【れいほく】

熊本県天草郡,天草下島北西部を占める町。陸繋(りくけい)島の砂州上にある主集落富岡は天然の良港で近海漁業基地。長崎市の茂木港へ航路がある。米作,果樹・野菜栽培を行い,陶石も産する。炭鉱は1975年閉山。キリシタン供養碑(史跡)などキリシタンの史跡に富む。67.57km2。8314人(2010)。

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世界大百科事典(旧版)内の苓北の言及

【富岡】より

…肥後国天草郡の城下町。現在は熊本県天草郡苓北(れいほく)町の一部で,旧富岡町。1603年(慶長8)天草を加増された寺沢堅高が,当時袋浦とよばれていた地を富岡と改め,新城を築き番代その他の役人を派遣して天草統治の中心とした。…

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