日本歴史地名大系 「宮古八重山両島絵図帳」の解説
宮古八重山両島絵図帳(両島絵図帳)
みやこやえやまりようとうえずちよう
一冊
成立 正保四年
写本 下地馨氏・浦崎浩行氏
解説 正保国絵図に伴って作成された絵図説明書。江戸幕府は正保元年諸藩にその封国の絵図の提出を命じた。薩摩鹿児島藩は大隅・日向・薩摩・琉球の絵図を作製、慶安二年に幕府に提出した。琉球国の絵図作製には正保二年鬼塚源太左衛門・大脇民部左衛門、絵師簗瀬清右衛門、筆者遠竹軍介が派遣された。沖縄島および周辺離島の分は同三年六月に完成した。宮古・八重山は杜氏名刈親雲上良盈・明氏美里(見里)親雲上長治らの案内で、同年一〇月三日那覇を立ち、調査を終えて翌四年四月七日那覇へ帰り、同月二一日に完成させた。絵図帳は絵図の説明として記録されたものが、蔵元役人によって書写されたのであろう。表紙に下地親雲上である「向朝祥」の記名がある。間切ごとの四至と距離、舟掛の場所、干瀬および村高が記されている。宮古島は平等(平良)、下地、おろか(砂川)、かりまた(狩俣)の四間切、続いてゑらふ島(伊良部島)、たらましま(多良間島)を記載。八重山島は石垣・大浜・宮良・川平・入表・こミ(古見)の六間切、続いて黒島・はてるま島(波照間島)を記す。宮古島と八重山島それぞれの惣合高は正保国絵図と同じ。下地本は砂川恵敷氏旧蔵。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報