絹丸村(読み)きぬまるむら

日本歴史地名大系 「絹丸村」の解説

絹丸村
きぬまるむら

[現在地名]富加町加治田かじた 絹丸

川浦かわうら川右岸、梨割なしわり山山麓に飛騨への街道に沿って位置し、北は川小牧かわこまき村、東は加治田村。永禄八年(一五六五)一一月一日の斎藤新五宛織田信長充行状写(備藩国臣古証文)に「弐百弐拾貫文 かちた・きぬまる」とある。織豊期は加治田城主斎藤新五の所領。関ヶ原合戦後旗本大島雲八光義領となり、慶長期(一五九六―一六一五)の大島雲八知行目録写(龍福寺文書)に「百五拾石三斗 きぬ丸村」とある。光義没後長子光成(関大島氏)が譲り受けたが、光成の孫久吉に嗣子がなかったため、寛永一四年(一六三七)没収されて幕府領となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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