加治田村(読み)かじたむら

日本歴史地名大系 「加治田村」の解説

加治田村
かじたむら

[現在地名]富加町加治田 栃洞とちぼら片町かたまち新町しんまち上町かみまち中町なかまち下町しもまち加治田住宅かじたじゆうたく

川浦かわうら川右岸、梨割なしわり山の麓、飛騨への街道に沿った細長い集落。古くから交通の要路として、また戦国期には佐藤氏の加治田城の城下町として町場を形成していた。夕田ゆうだ村の天保九年(一八三八)の村明細帳には「最寄町場加治田町え凡八町」とある。また明治中期の加治田村の復元図(富加町史)によれば、造酒屋鍛冶屋など約八〇軒で町並を形成している。また鍛冶屋八軒、とぎ師・とぎ屋五軒が数えられる。北は川小牧かわこまき村、東は伊深いぶか(現美濃加茂市)、南は夕田村、西は絹丸きぬまる村。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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