日本歴史地名大系 「綿袋町」の解説 綿袋町めんたいちよう 大阪府:大阪市南区綿袋町[現在地名]南区東清水(ひがししみず)町中津(なかつ)町の西、玉屋(たまや)町の北にある。清水町(しみずまち)筋の南北各半町で、東は中橋(なかばし)筋、西は三休橋(さんきゆうばし)筋から半町ほど西まで。町名は延宝七年(一六七九)からで、明暦元年(一六五五)からこの年までは西清水町といった。大坂三郷南組に属し、元禄一三年(一七〇〇)三郷水帳寄帳では屋敷数三二・役数三五役で、うち年寄分一役が無役。年寄は丸屋長兵衛。天明元年(一七八一)結成の通達組合のうち島之内(しまのうち)中央部の一三町の組に属した(木挽町文書)。勧化三〇町組の一町で、嘉永二年(一八四九)の坪数高年番定帳(大阪市立中央図書館蔵)によれば坪高二千四五坪、年寄分・会所分を引いた一九六七・五坪が負担坪数。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報