20世紀日本人名事典 「綿野吉二」の解説 綿野 吉二ワタノ キチジ 明治〜昭和期の陶業家(九谷焼) 日魯実業会社社長。 生年万延1年(1860年) 没年昭和9(1934)年1月 出生地加賀国能美郡寺井村(石川県) 経歴加賀・寺井の綿屋源右衛門の長男に生まれる。海外貿易を志し、明治9年神戸に支店を開き、13年横浜本町に移り、大正12年の関東大震災まで約50年を通じ、九谷焼の輸出を続けた。この間、フランスへの直輸出、華南方面への出張、米仏博覧会への渡航などのほか、欧米への販路拡大に努める。一方、日魯実業会社社長となり、その他の会社の重職にも当たった。また石川県寺井の本邸に錦窯を築いて特製品に絵付けするほか、明治34年邸内にフランス式本窯を設けて、大正6年まで外国向け、主に欧州向けの製品を作らせた。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「綿野吉二」の解説 綿野吉二 わたの-きちじ 1860-1934 明治-昭和時代前期の陶業家。万延元年生まれ。加賀(石川県)寺井の人。明治9年神戸に店をひらいて,九谷焼の輸出にあたり,13年横浜にうつる。また寺井に錦窯(きんがま)をきずいて外国向けの品をつくらせた。昭和9年1月死去。75歳。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by