石川県で焼かれる陶磁器。江戸初期、大聖寺(だいしょうじ)川上流の僻村(へきそん)九谷(現加賀(かが)市山中温泉九谷町(やまなかおんせんくたにまち))で焼かれたいわゆる「古九谷」と、江戸後期、加賀藩によって再開された「再興九谷」、そして明治以降の九谷焼が含まれる。
[矢部良明]
開窯については、大聖寺藩主の前田利治(としはる)が家臣の後藤才次郎を有田(佐賀県)に派遣して作陶の技術を修得させ、帰藩後、田村権左右衛門(ごんざえもん)を指導して明暦(めいれき)年間(1655~58)に築窯したと一般に伝えられているが、この地に窯が築かれたのはそれ以前であり、なんらかの形で有田の影響を受けたものと推察される。当時大聖寺焼とよばれたいわゆる古九谷窯はかなり画期的なもので、34メートルに及ぶ大規模な連房式登窯(のぼりがま)を2基も備える古窯址(し)がそれを証している。
しかし1970年(昭和45)以来4次にわたる発掘調査で出土した陶磁片と、伝世古九谷の白磁土の素地(きじ)に格差が認められることや、確たる文献も少ないため、古九谷の窯の始源や廃窯の時期は判然としていない。大沢君山の『重修加越能大路水径』(1736)でも、すでに過去のこととして九谷の地に石焼(磁器焼造)の窯があったと記すのみである。大聖寺藩の藩窯としての性格をもち、その最盛期は17世紀後半とされているが、元禄(げんろく)期(1688~1704)の17世紀末から18世紀初めには廃絶した。
一般に古九谷と称されているのは色絵磁器で、不透明な鈍い白色素地に花鳥、山水、風物などを描いたものが多い。いずれも大胆な構図で、濃い彩釉(さいゆう)を用い雄勁(ゆうけい)な筆致で上絵付(うわえつけ)されている。文様には祥瑞(しょんずい)風、和風などと、種々の影響がみられるが、よくそれを消化し、幾何学文様なども巧みに併用しつつ、古九谷様式ともいうべき独自の意匠を展開している。また素地を青・緑・紫・黄の彩釉で塗りつぶした青手(あおで)(塗りつぶし手)も古九谷特有のものである。
[矢部良明]
江戸後期、全国的に陶業振興の気運が強まるなかで、文化(ぶんか)年間(1804~18)加賀藩の殖産政策として卯辰山(うたつやま)(金沢市)に窯が開かれたのを皮切りに、藩内各地に新窯の勃興(ぼっこう)をみた。これらの諸窯を幅広くとらえて「再興九谷」とよんでいる。
1807年(文化4)京都から青木木米(もくべい)が招聘(しょうへい)され、弟子の本多貞吉(さだきち)とともに卯辰山麓(さんろく)に春日山(かすがやま)窯を開いた。ここでは呉須(ごす)赤絵、青磁、古赤絵、染付(そめつけ)、絵高麗(えごうらい)、交趾(こうち)写しなどが中国陶磁を手本に焼かれた。和様に色付した文人好みの雅味ある作風はみるべき妙趣に富んでいたが、陶業としては発展せず、1822年(文政5)には加賀藩主武田民山(みんざん)が受け継いで、別に民山窯を開いている。民山窯は、半磁胎(じたい)の素地に、赤を中心に上絵付した明るく朗らかな作調の魅力的な磁器を多く焼いたが、彼の没した1844年(弘化1)には廃滅した。一方、1811年に、若杉村(現小松市若杉町)の十村(とむら)(大庄屋(おおじょうや))林八兵衛が本多貞吉を招いて若杉窯をおこしている。これは産業として成功を収め、1820年には加賀藩直轄の窯となり、伊万里(いまり)をはじめ種々の焼物を手本として量産するとともに、阿波(あわ)(徳島)出身の武一勇次郎を絵付師に迎えて絵付物に優作を残し、1875年(明治8)まで存続した。
しかし、いわゆる伝世古九谷の色絵磁器を本格的に写し、新たな独特の装飾様式にまで展開させたのは、大聖寺の豪商吉田屋(豊田伝右衛門(でんえもん))である。文人でもあった彼は晩年の1823年ごろ、古九谷の古窯址の近くに新窯を築き吉田屋窯とした。本多貞吉の養子清兵衛が主力となり、古九谷の五彩手と青手に倣った芸術的香りの高い重厚な色絵磁器をつくった。窯は1825年に山代(やましろ)の越中(えっちゅう)谷窯に移されたが、31年(天保2)に廃窯した。
吉田屋窯の後を受けて宮本屋宇右衛門(吉田屋窯支配人宮本屋理右衛門の兄)が1832年に宮本屋窯を開き、赤絵細描に優れた飯田屋八郎右衛門(いいだやはちろうえもん)が絵付師を務めて八郎手とよぶ金襴手(きんらんで)を完成させた。これが世評を集めて加賀の諸窯に影響を与え、九谷赤絵流行の起因となった。この八郎手に独自のくふうを加えて艶(つや)やかな彩色金襴手をつくりだしたのは九谷庄三(しょうざ)で、庄三風の始祖となっている。また京都から山代へ招かれた永楽和全(えいらくわぜん)による金襴手の技法は、九谷永楽とよばれる独特の作風を残した。なお吉田屋窯で絵付師を務めた粟生屋源右衛門(あおやげんえもん)が諸窯に与えた技術指導の功績にも特筆すべきものがある。
このように化政期以降は、優れた陶人の輩出や良質の磁土の発見とともに、小松、加賀、金沢、寺井などで目覚ましく発展を遂げ、明治に入って海外への輸出でさらに進展し、同地はわが国製陶産業の一翼を担うこととなった。
その間、九谷庄三、松本佐平、内海吉造(うつみきちぞう)、阿部碧海(へきかい)、石野竜山(りゅうざん)、安達陶仙(あだちとうせん)、松原新助、徳田八十吉(やそきち)、竹内吟秋(ぎんしゅう)・浅井一毫(いちごう)の兄弟、初代須田菁華(せいか)、初代中村秋塘(しゅうとう)らの名工を生み、富本憲吉や北大路魯山人(きたおおじろさんじん)も作陶に加わった時期がある。
[矢部良明]
『林屋晴三編『日本の陶磁11 古九谷』(1975・中央公論社)』▽『西田宏子著『陶磁大系22 九谷』(1978・平凡社)』▽『三上次男・林屋晴三編『世界陶磁全集9 江戸(4)』(1983・小学館)』
江戸時代に加賀国江沼郡九谷村(現,石川県加賀市山中温泉九谷町)で焼かれたやきものを〈九谷焼〉と称するようになったといわれる。17世紀半ば,大聖寺藩主前田利治が家臣の後藤才次郎らに命じて製陶したのにはじまり,約50年ほどで廃止されたと伝えられている。この期の作と考えられるものを一般に〈古九谷〉と呼ぶ。しかし,古九谷に関しては,その開始時期をはじめとして,その発展の経緯や廃窯の時期,有田焼との関係など,その窯跡が発掘調査された現時点においても明確な結論が出ていない。一方,江戸後期になって,加賀藩は殖産政策の一つとして窯業を再開し,まず京都から青木木米を招いて金沢卯辰山に藩営の春日山窯を開窯した。木米は2年ほどで帰京し,窯は衰微してしまうが,これを契機として九谷焼諸窯が加賀国におこる。春日山窯の作品には呉須赤絵写しが多く,〈金城製〉〈春日山〉〈金府造〉などの銘がある。
1811年(文化8)に若杉村(現,小松市内)の林八兵衛が春日山窯の陶工本多貞吉を招いて開窯したのが若杉窯で,染付の雑器や青手古九谷風の濃厚な色絵を焼造した。吉田屋窯は大聖寺の豪商豊田伝右衛門が古九谷の復興を目ざして九谷村に開いた窯で,江戸後期の九谷焼の中ではもっとも高い評価をうけている。作品には緑,黄,紫,紺青の四彩を用いて器表を塗りつめた色絵が多く,赤を用いず青色の印象をうけるので,〈青九谷〉と称されている。この様式は九谷諸窯で行われ,その伝統は今日まで続いている。吉田屋窯は1831年(天保2)に廃窯となるが,九谷諸窯では飯田屋八郎右衛門,粟生屋源右衛門,九谷庄三(しようざ)(1816-83)などの名工が輩出し,幕末から明治への政治変革期の混乱にも影響をうけず,さらに活況を呈した。華やかな金襴手や青九谷が輸出用として焼かれ,明治20年代には日本の輸出磁器としては有田をこえて第1位となり,その名を世界に広めている。現在の九谷焼は石川県南部地方で生産され,庄三風の色絵の器や,室内装飾用品が主要な器種である。
執筆者:西田 宏子
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石川県の焼物の総称だが,正しくは加賀市山中温泉九谷町の地で焼かれた焼物の系統をひく陶磁器。明暦年間に大聖寺藩祖前田利治がおこした大聖寺焼(古九谷)が一時廃窯ののち,文化年間に古九谷窯の再興を願って新窯がおこり,今日に継承されている。再興九谷焼は,金沢藩の藩窯で,若杉陶器所とよばれた若杉窯をはじめとして春日山窯・民山窯・吉田屋窯・宮本窯・粟生屋(あおや)窯・小野窯・蓮代寺窯・松山窯・佐野窯・永楽窯・庄三(しょうざ)窯などで焼かれた。
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…翌年大津湖南窯,摂津高槻城内で作陶し,一時,回全,和全らと共に仁清の故地御室に開窯し再興を試みたが,格調高い製品は残されていない。保全の後を継いだ和全も,金襴手,銀襴手,交趾手,赤絵などに優品を残し,加賀九谷焼の再興に尽力したが,71年(明治4)姓を〈西村〉から〈永楽〉に改めるなど幕末・維新の混乱期に活躍,永楽家の存続に尽力した。【河原 正彦】。…
※「九谷焼」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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