デジタル大辞泉
「寺井」の意味・読み・例文・類語
てら‐い〔‐ゐ〕【寺井】
寺の境内にわく清水。また、寺の井戸。
「もののふの八十娘子らが汲みまがふ―の上の堅香子の花」〈万・四一四三〉
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てら‐い‥ゐ【寺井】
- [ 1 ] 〘 名詞 〙 寺の境内にわく清水、また井戸。
- [初出の実例]「もののふの八十少女らが汲みまがふ寺井の上の堅香子(かたかご)の花」(出典:万葉集(8C後)一九・四一四三)
- [ 2 ] 大阪市西淀川区、神崎川の河口にあったといわれる地名。古く港があったとされるが、流路の変化によりその位置は未詳。
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寺井
てらい
石川県中南部、能美郡(のみぐん)にあった旧町名(寺井町(まち))。現在は能美市の南西部を占める地域。1956年(昭和31)寺井野町、粟生(あお)村、吉田・久常(ひさつね)両村の一部が合併して成立。2005年(平成17)能美郡根上(ねあがり)町、辰口(たつのくち)町と合併して市制施行、能美市となった。国道8号が通じる。金沢平野の一部を占め、北部を手取川が西流する。秋常山古墳群(あきつねやまこふんぐん)、和田山・末寺山古墳群(わだやままつじやまこふんぐん)(ともに国指定史跡)など古墳が多い。近世には粟生、寺井は北陸道の宿駅で、粟生は手取川の渡船場でもあった。幕末には九谷焼(くたにやき)の産地となり、明治時代にはその輸出で栄えた。九谷焼は国の伝統的工芸品に指定された。九谷焼の約70%を生産し、5月3~5日は九谷茶碗(ちゃわん)まつりが行われる。佐野・湯谷(ゆのたに)地区に建設された九谷陶芸村には能美市九谷焼資料館、県立九谷焼技術研修所、九谷焼流通団地、浅蔵五十吉(あさくらいそきち)美術館などがあり、国道沿いには九谷焼の店が並ぶ。このほか合繊織物、機械工業も発達し、米作や養鶏業も盛ん。
[矢ヶ崎孝雄]
『『寺井町史』(1967・寺井町)』▽『『寺井町史』全3巻(1992~1994・寺井町)』
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寺井[町]【てらい】
石川県南部,能美(のみ)郡の旧町。手取(てどり)川下流の左岸を占め,北陸本線が通じる。九谷焼の主産地として知られ,毎年5月3〜5の日に九谷茶碗祭が行われる。織物,精密機械工業,鉄工業などの工場が立地。早場米の産地としても有名。2005年2月能美郡根上町,辰口町と合併し市制,能美市となる。13.15km2。1万6213人(2003)。
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寺井
てらい
石川県南西部,能美市中部の旧町域。金沢平野の手取川下流左岸にある。 1956年寺井野町 (1926年町制) ,粟生村,および吉田村,久常村の一部が合体して寺井町が成立。名称は中世以来の地名による。 2005年根上町,辰口町と合体し能美市となる。中心地区の寺井は北陸街道の宿駅で,江戸時代から九谷焼の素地の産地として知られる。県生産の半分以上を占める九谷焼のほか硬質陶器,瓦,絹,合成繊維織物を産し,機械工業も発達。中央部は能美古墳群で知られ,和田山・末寺山古墳群,秋常山古墳群は国の史跡。
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