総持寺村(読み)そうじじむら

日本歴史地名大系 「総持寺村」の解説

総持寺村
そうじじむら

[現在地名]茨木市総持寺一―二丁目・総持寺駅前そうじじえきまえ町・中総持寺なかそうじじ町・しよう一―二丁目・三島みしま町・三島丘みしまおか一―二丁目

西河原にしがわら村の東にある村で、古刹総持寺がある。文和元年(一三五二)二月一八日の総持寺領散在田畠目録写(常称寺文書)に「惣持寺村」とみえ、字井テナハテ・字サイ田・馬場西裏などに総持寺領があった。江戸時代の郷帳類の多くは惣持寺村と表記。元和初年の摂津一国高御改帳によれば惣持寺村三一二石余は幕府領(北見勝忠預)。その後京都所司代板倉重宗領となり、重宗の子重郷・重形と相伝されて天和元年(一六八一)幕府領となる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

二十四節気の一つで,二至 (夏至,冬至) ,二分 (春分,秋分) として四季の中央におかれた中気。元来,春分は太陰太陽暦の2月中 (2月後半) のことで,太陽の黄経が0°に達した日 (太陽暦の3月 2...

春分の用語解説を読む