応神天皇(読み)おうじんてんのう

  • おうじんてんのう ‥テンワウ
  • おうじんてんのう〔テンワウ〕
  • 応神天皇 おうじんてんのう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

第15代に数えられる天皇。名はホンダワケノミコト,またはオオトモワケノミコト。仲哀天皇の第4皇子。母は神功皇后。先帝が没したとき,なお母后の胎中にあったため胎中天皇ともいう。天皇およびこの時代に関する『古事記』『日本書紀』の伝承は豊富で,池溝開発,内政整備の記事のほかに,王仁の来朝,『論語』『千字文』の奉献をはじめ,弓月君阿知使主らの渡来人や,漢籍,儒学(→儒教),工芸の輸入などに関するものが多く,この時代における大和政権(大和朝廷)の勃興と,大陸や半島の先進文化の流入とを示す。『宋書』夷蛮伝の倭王(→倭の五王)の一人「」を,応神天皇とするもある。陵墓応神天皇陵,誉田御廟山古墳とも呼ばれる,大阪府羽曳野市古市にある恵我藻伏崗陵(えがのもふしのおかのみささぎ,2019年世界遺産登録)とされている。

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百科事典マイペディアの解説

5世紀前半の天皇。記紀によれば,仲哀(ちゅうあい)天皇の皇子,母は神功(じんぐう)皇后。諱(いみな)は誉田別(ほんだわけ)。この時期に大和朝廷の勢力が飛躍的に発展。《宋書(そうじょ)》国伝(わこくでん)にみえる倭王の讃(さん)を応神天皇にあてる説がある。→応神陵倭の五王
→関連項目菟道稚郎子厩坂餌香市大阪[市]忍熊皇子木幡千字文仲哀天皇角鹿東漢氏

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

記・紀系譜による第15代天皇。在位は5世紀初頭ごろ。
父は仲哀(ちゅうあい)天皇。母は神功(じんぐう)皇后。父の死後,九州で生まれ,胎中天皇ともよばれる。「日本書紀」によれば,母の摂政下で皇太子となり,母の死後即位。諸国をひろく治め,百済(くだら)(朝鮮)から阿直岐(あちき),王仁(わに)らが経典典籍をもたらしたという。「宋書」倭国伝の倭王讃(さん)とする説もある。応神天皇41年2月15日死去。110歳。墓所は恵我藻伏岡陵(えがのもふしのおかのみささぎ)(大阪府羽曳野市。仁徳天皇陵につぐ巨大前方後円墳)。別名は誉田天皇(ほむたのすめらみこと),誉田別尊(ほむたわけのみこと),大鞆和気命(おおともわけのみこと)。

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世界大百科事典 第2版の解説

第15代に数えられる天皇。仲哀天皇の皇子,母は息長足姫(おきながたらしひめ)(神功皇后)。諱(いみな)は誉田別(ほんだわけ)という。ただ《古事記》には,大鞆和気(おおともわけ)ともあり,胎中(たいちゆう)天皇とも称された。《日本書紀》によると,仲哀天皇は西征のさなかに没し,皇后が三韓に遠征したさいにはすでに胎内にあり,遠征から帰ったのち,筑紫で生まれたという。中央にかえり,皇后の摂政のもとで,皇太子となり,皇后の没後,はじめて即位し,大和国高市郡軽島(豊)明宮に居した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

記紀では第15代の天皇とする5世紀前後の王者。仲哀(ちゅうあい)天皇の皇子で、母は神功(じんぐう)皇后と伝える。諱(いみな)は誉田別尊(品陀和気命)(ほんだわけのみこと)。筑紫(つくし)で生まれ、母とともに大和(やまと)に赴き、神功皇后の次に王位についたという。応神天皇の代の伝承には、蝦夷(えみし)の朝貢、吉野国樔(くず)の貢献、吉備(きび)の行政的編成などのほか、朝鮮半島からの渡来人の伝えがみえるが、『古事記』や『日本書紀』に記載する伝承の信憑(しんぴょう)性については、文献批判を必要とする。『宋書(そうじょ)』夷蛮(いばん)伝の倭国(わこく)の条にみえる、倭王讃(さん)については、これを応神天皇とする説がある。その諱が別(和気)を帯びており、応神天皇の以前と以後では諡(おくりな)、諱に差異があること、また応神天皇以後と、神功皇后までの説話の趣(おもむき)には違いがあって、5世紀の王陵と伝える古墳が主として河内(かわち)(大阪府)にあることなどから、応神天皇の王朝は新たな河内王朝であったとする説や、当時の古墳文化に注目して、筑紫から東征した騎馬民族の王朝とする説などがある。陵は『古事記』や『延喜式(えんぎしき)』などによれば、大阪府羽曳野(はびきの)市にある恵我藻伏崗陵(えがのもふしのおかのみささぎ)(誉田陵(こんだりょう))と伝える。

[上田正昭]

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精選版 日本国語大辞典の解説

第一五代天皇。仲哀天皇の第四皇子。母は神功皇后。名は誉田別命(ほむたわけのみこと)。在位中、百済(くだら)から阿直(あちき)、王仁(わに)、阿知使主(あちのおみ)らの渡来などがあり、大和朝廷の興隆期にあたる。「宋書‐倭国伝」の倭王讚は、応神天皇をさすともいわれる。

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旺文社日本史事典 三訂版の解説

生没年不詳
仲哀 (ちゆうあい) 天皇第4皇子
母は神功 (じんぐう) 皇后。『宋書』倭国伝にみえる倭の五王の一人,讃 (さん) がこの天皇であるとする説もある。在位は400年前後で大和政権の全盛期で,巨大な陵墓は天皇(大王権力の強大さを示している。その治世には朝鮮から楽浪・帯方遺民の阿直岐 (あちき) ・弓月君 (ゆづきのきみ) ・王仁 (わに) ・阿知使主 (あちのおみ) らが渡来し,養蚕織物灌漑・治水技術,漢字・学問などを伝えたといわれる。

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世界大百科事典内の応神天皇の言及

【神功皇后】より

…仲哀天皇の妃で記紀の新羅遠征説話の主人公,また応神天皇の母とされる。別名,気長足姫(おきながたらしひめ)尊(記では息長帯比売命)。…

※「応神天皇」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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