羅漢橋跡(読み)らかんばしあと

日本歴史地名大系 「羅漢橋跡」の解説

羅漢橋跡
らかんばしあと

針屋はりや町の北、今出川いまでがわ通に架かっていた橋。「山城名跡巡行志」は羅漢橋について「在今出川、跨小川、相伝、昔橋東有羅漢堂」と記す。中古京師内外地図には、「羅漢寺」と「ラカンバシ」が描かれる。

永正八年(一五一一)八月二四日、室町幕府一〇代将軍足利義尹(義稙)は細川高国・大内義興らの兵を率いて、船岡ふなおか(現北区)で細川澄元・同政賢らの兵と合戦、「瓦林政頼記」は「両陣トモニ一タマリモナク崩ニケレハ逃々ウタレタル者二千余人トソキコヘシ、疵ヲ被ル者ハ数ヲモ不知、殊ニ大将タル右馬助政賢、誓願寺の辺マテ取テ遁ケルカ、羅漢ノ橋ノ上ニテ討レヌ」と記し、羅漢橋上での細川政賢戦死を伝える。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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