日本歴史地名大系 「針屋町」の解説 針屋町はりやまち 石川県:金沢市金沢城下第一連区針屋町[現在地名]金沢市野町(のまち)二丁目野町通を西に入った小路の両側町で地子町。玄哲(げんてつ)町の西にあり、西は泉(いずみ)用水を挟んで石坂河岸(いつさかかわぎし)。町名は、地内に針屋があったことによると思われるが、不詳。変異記(金沢古蹟志)に、宝暦二年(一七五二)三月一二日石坂針屋町一軒焼失とあり、泰雲公年譜(加越能文庫)にも、同一二年八月二日夜寺(てら)町(蛤坂町)の日蓮宗本長(ほんちよう)寺より出火、石坂町・針屋町・本間(ほんま)町・助九郎(すけくろ)町焼失とある(金沢古蹟志)。 針屋町はりやまち 福島県:会津若松市若松城下針屋町[現在地名]会津若松市日新町(につしんまち)善久(ぜんきゆう)町の北に並び、東は大和(やまと)町から西は西名子屋(にしなごや)町を横切り小黒川(おぐろがわ)分の田圃に接する、長さ二町四七間・幅三間余、家数五七。針工が多く住んでいたので、昔は針屋小路と称した(新編会津風土記)。文化四年(一八〇七)の「若松風俗帳」に「此町工商住居仕候」とある。町西端の北側に真宗大谷派西蓮(さいれん)寺があり、天正二年(一五七四)の開山。漆器の下地を作る木地師の寺として知られる。 針屋町はりやちよう 京都市:上京区小川学区針屋町上京区小川通今出川下ル町の中央を南北に小川(おがわ)通が通る。北は今出川(いまでがわ)通、南は元誓願寺(もとせいがんじ)通。寛永一四年(一六三七)洛中絵図には「らかんの南町」とある。小川と今出川通とが交わる橋を羅漢(らかん)橋と称したので、その南の意である。寛永版平安城東西南北町並之図には「はりや町」、宝暦一二年(一七六二)刊「京町鑑」には「針屋町」と記される。 針屋町はりやちよう 愛知県:名古屋市中区針屋町[現在地名]中区錦(にしき)三丁目常盤(ときわ)町の南、笹屋(ささや)町の北にある。伝馬(てんま)町筋から本重(もとしげ)町筋の半町上までの間の一丁半を区域とした。清須の針屋小路(きよすのはりやこうじ)から慶長年中(一五九六―一六一五)名古屋に移った。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by