船岡(読み)ふなおか

精選版 日本国語大辞典 「船岡」の意味・読み・例文・類語

ふなおかふなをか【船岡】

  1. ふなおかやま(船岡山)[ 一 ]
    1. [初出の実例]「岡は ふなをか。片岡」(出典:枕草子(10C終)二四九)

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日本歴史地名大系 「船岡」の解説

船岡
ふなおか

歌枕。「能因歌枕」「五代集歌枕」「和歌初学抄」「八雲御抄」「和歌色葉」にあげられ、「初学抄」は「フネニソフ」と注する。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「船岡」の意味・わかりやすい解説

船岡(鳥取県)
ふなおか

鳥取県東部、八頭郡(やずぐん)にあった旧町名(船岡町(ちょう))。現在は八頭町の南西部を占める地域。1952年(昭和27)船岡、隼(はやぶさ)、大伊(おおい)の3村が合併して町制施行。2005年(平成17)3月郡家町(こおげちょう)、八東町(はっとうちょう)と合併し、八頭町となる。若桜(わかさ)鉄道、国道482号が通じる。中心の船岡は八東川の段丘上に立地し、江戸時代は鳥取藩家老乾(いぬい)家の陣屋町、また川船輸送の始点であった。近代以降、牛馬市場として発達。農業では米、二十世紀ナシやキノコ類、葉タバコ、花卉(かき)栽培などを行う。式内社の因幡二宮(いなばにのみや)大江(おおえ)神社、曽我(そが)十郎の恋人虎御前(とらごぜん)の隠棲(いんせい)伝承地能引寺(のういんじ)があり、水口(みなくち)人形浄瑠璃(じょうるり)芝居が伝えられる。

[岩永 實]

『『船岡町誌』(1968・船岡町)』『『新船岡町誌』(2002・船岡町)』


船岡(宮城県)
ふなおか

宮城県南部、柴田(しばた)郡柴田町の一地区。旧船岡町。近世には仙台藩の重臣柴田氏の居城があり、一時期は伊達(だて)騒動で知られる原田甲斐(かい)の居城でもあった。また奥州街道の宿駅でもあった。居城跡は船岡城址公園(ふなおかじょうしこうえん)となっていて、高さ24メートルの観音(かんのん)像が立ち、サクラの名所として知られる。JR東北本線船岡駅があり、国道4号が通じる。

[編集部]

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百科事典マイペディア 「船岡」の意味・わかりやすい解説

船岡[町]【ふなおか】

鳥取県東部,八頭(やず)郡の旧町。中心の船岡は大江,八東(はっとう)両川の渓口部にあり,若桜(わかさ)鉄道が通じる。もと鳥取藩の家老の陣屋所在地,高瀬舟舟運の起点であった。米,メロン,イチゴシメジナメコなどを産し,食品加工も行う。2005年3月八頭郡郡家町,八東町と合併し町制,八頭町となる。53.67km2。4641人(2003)。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「船岡」の意味・わかりやすい解説

船岡
ふなおか

鳥取県東部,八頭町南西部の旧町域。鳥取平野の南端にある。 1952年船岡村,大伊村,隼村の3村が合体して町制。 2005年郡家町,八東町と合体して八頭町となった。中心集落の船岡は八東川の河岸段丘上にあり,江戸時代は池田藩の家老乾氏の陣屋があったところで,米などの物資を積み出す河港としても繁栄。農林業を主とし,二十世紀梨,イチゴ,メロン,花卉などの栽培が行なわれる。

船岡
ふなおか

宮城県南部,柴田町の中心地区。旧町名。白石川の右岸に位置し,木工業,食品工業があり,仙台市への通勤者も多い。仙台藩の家老原田甲斐の居城跡の船岡公園と白石川の堤防は桜の名所。

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改訂新版 世界大百科事典 「船岡」の意味・わかりやすい解説

船岡 (ふなおか)

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