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誓願寺 せいがんじ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

誓願寺
せいがんじ

福岡市西区にある真言宗御室派の寺。大檀那大法師寛智により建立。もとは 42の子院があったといわれ,ただ1つ残った大泉坊が今日の誓願寺である。仁安3 (1168) 年宋に渡り,安元2 (76) 年に帰朝した栄西が,宋版大蔵経の渡来を筑前今津で待っている間に堂塔が建立され,開堂法要の導師をつとめたという。治承2 (78) 年7月 15日の盂蘭盆会に際し,栄西が法華一品経書写勧縁の由来を書いた『誓願寺盂蘭盆縁起』1巻,それに付属し誓願寺建立の事情を詳しく記した栄西筆『誓願寺建立縁起』は国宝。

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百科事典マイペディアの解説

誓願寺【せいがんじ】

京都市中京(なかぎょう)区にある浄土宗西山(せいざん)深草派の総本山。奈良時代創建,三論(さんろん)宗であったが,鎌倉時代に深草真宗院の円空立信(えんくうりゅうしん)(西山上人証空(しょうくう)門下)が兼帯してより西山深草派の本寺になり,念仏弘通の一大道場になった。
→関連項目安楽庵策伝

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世界大百科事典 第2版の解説

せいがんじ【誓願寺】

京都市中京区新京極三条にある浄土宗西山深草派の総本山。深草山と号す。もと奈良にあって恵隠が創建し,三論宗を奉じていたが,奈良より山城相楽郡に移り,794年(延暦13)平安京遷都ののち山城の紀伊郡深草に移され,さらに元誓願寺町に転じたという(一説に,平安遷都に伴い山城国乙訓郡に移り,中世さらに上京一条小川に移転したともいう)。21代の住持蔵俊は法相宗を学んだが,浄土宗の祖法然の学解に触れて同調者となったと伝える。

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大辞林 第三版の解説

せいがんじ【誓願寺】

京都市中京区新京極にある浄土宗西山深草派の総本山。三論宗の恵隠が奈良に創立したものを、平安遷都で京都深草に移し、のち豊臣秀吉が現地に移建。二一世蔵俊の時、法然に帰依して浄土宗に改宗。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

誓願寺
せいがんじ

京都市中京(なかぎょう)区新京極(しんきょうごく)桜之町にある浄土宗西山深草(せいざんふかくさ)派の総本山。天智(てんじ)天皇の御願で三論宗の恵隠(えおん)が奈良に創建したのに始まる。平安遷都後深草に移り、さらに上京区元誓願寺町に移った。三論宗21世の蔵俊(ぞうしゅん)のとき法然上人(ほうねんしょうにん)源空(げんくう)に帰依(きえ)して浄土宗に改宗。証空(しょうくう)門下の立信(りゅうしん)が住んで基礎を築き、のち西山深草派の本山となる。応仁(おうにん)年間(1467~69)兵火にかかったが、1477年(文明9)十穀(じっこく)が再興を図り、一条兼良(かねら)らの後援もあって同年上棟(じょうとう)。その後四度の火災を経て、1585年(天正13)豊臣(とよとみ)秀吉の命で現地に移し、側室松丸殿および京極氏が諸堂を建立した。その後もしばしば炎上し、明治以降はとくに繁華街であるため寺域が狭められた。寺宝には和泉式部(いずみしきぶ)の供養(くよう)塔や木造毘沙門天(びしゃもんてん)立像(国指定重要文化財)、絹本着色『誓願寺縁起』三幅(同)、『涅槃(ねはん)像』一幅などがある。円光大師(法然)二十五霊場の一つとなっている。[玉山成元]

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