日本歴史地名大系 「羽柴秀吉朱印蔵入目録」の解説
羽柴秀吉朱印蔵入目録(淡路国御蔵入目録)
はしばひでよししゆいんくらいりもくろく
一冊
成立 天正一四年一一月三日
原本 脇坂家
解説 「改撰仙石家譜」によれば、羽柴(豊臣)秀吉は天正九年に淡路を平定すると仙石秀久に淡路を与え洲本城主とする。同一三年四国平定の後、秀久が淡路から讃岐へ移され、代わって脇坂安治と加藤嘉明が淡路に封ぜられる(「秀吉事記」東京大学史料編纂所謄写本)。脇坂安治に対する羽柴秀吉の朱印知行方目録では津名郡内に三万石を封じ、加藤嘉明への朱印目録(近江水口加藤文書)では三原郡内に一万二千四五石、津名郡内に二千九六〇石の都合一万五千石が給される。本史料はおもに三原郡内に残る淡路国内の公領地を蔵入地とし、脇坂安治を代官に任じ預け置いた蔵入目録を示す。その蔵入高一万一千五三〇石は三二ヵ村にわたり、各村高は村名とともに記述されている。「兵庫県史」史料編近世一所収
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報