安土(あづち)桃山時代の武将。美濃(みの)国(岐阜県)生まれ。久盛の子、通称権兵衛(ごんべえ)。千石とも書き、名も秀康、盛長ともいった。初め織田信長に仕え、1574年(天正2)近江(おうみ)(滋賀県)野洲(やす)郡に1000石を得、80年淡路洲本(あわじすもと)に5万石を領した。のち豊臣(とよとみ)秀吉に仕え、85年四国征伐の功によって讃岐(さぬき)(香川県)を得て高松城主となる。翌年、九州島津(しまづ)攻略の先発となったが敗れて一時所領を没収され、高野山(こうやさん)に謹慎した。90年家康を頼って小田原攻めに加わり、功あって信濃(しなの)(長野県)小諸城主となり、5万石を領した。1600年(慶長5)関ヶ原の戦いのとき徳川秀忠(ひでただ)に従い、上田城攻略に加わった。1706年(宝永3)子の政明(まさあきら)のとき信濃上田から但馬(たじま)(兵庫県)出石(いずし)藩に入り5万8000石を領した。
[小林 茂]
(小和田哲男)
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…秀吉は大唐国の征服をも意図し,その出兵基地として九州を構想していたので,島津氏征服はその構想にも好つごうであった。そこで8月,黒田孝高らを九州に派遣して豊前を攻略させ,また仙石秀久を豊後に派遣して島津氏攻略を開始した。さらに12月に檄(げき)を畿内,北陸などの諸国に伝えて20万余の大軍を構成し,翌87年正月に九州攻略の部署を決定し,3月1日みずから京都を出発した。…
…信濃国(長野県)佐久郡小諸城を居城とした小藩。1590年(天正18)仙石秀久5万石の入封にはじまる。秀久の城郭拡張と小諸城下町建設工事の領民酷使は一郡逃散(ちようさん)をひきおこしたが,2代忠政は民政安定につとめ,1615年(元和1)年貢を貫高制から石高制に移行した。…
※「仙石秀久」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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