仙石秀久(読み)せんごくひでひさ

精選版 日本国語大辞典 「仙石秀久」の意味・読み・例文・類語

せんごく‐ひでひさ【仙石秀久】

  1. 安土桃山時代武将。久盛の子。美濃国岐阜県)の人。豊臣秀吉四国征伐小田原征伐に功があり、信濃国長野県)の小諸城を与えられ、のち越前守に任ぜられた。秀吉没後関ケ原戦いでは徳川方に属した。天文二〇~慶長一九年(一五五一‐一六一四

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「仙石秀久」の意味・わかりやすい解説

仙石秀久
せんごくひでひさ
(1552―1614)

安土(あづち)桃山時代の武将。美濃(みの)国(岐阜県)生まれ。久盛の子、通称権兵衛(ごんべえ)。千石とも書き、名も秀康、盛長ともいった。初め織田信長に仕え、1574年(天正2)近江(おうみ)(滋賀県)野洲(やす)郡に1000石を得、80年淡路洲本(あわじすもと)に5万石を領した。のち豊臣(とよとみ)秀吉に仕え、85年四国征伐の功によって讃岐(さぬき)(香川県)を得て高松城主となる。翌年、九州島津(しまづ)攻略の先発となったが敗れて一時所領を没収され、高野山(こうやさん)に謹慎した。90年家康を頼って小田原攻めに加わり、功あって信濃(しなの)(長野県)小諸城主となり、5万石を領した。1600年(慶長5)関ヶ原の戦いのとき徳川秀忠(ひでただ)に従い、上田城攻略に加わった。1706年(宝永3)子の政明(まさあきら)のとき信濃上田から但馬(たじま)(兵庫県)出石(いずし)藩に入り5万8000石を領した。

[小林 茂]

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朝日日本歴史人物事典 「仙石秀久」の解説

仙石秀久

没年:慶長19.5.6(1614.6.13)
生年:天文21(1552)
安土桃山・江戸前期の武将。生年については天文20(1551)年説もある。通称権兵衛。美濃の仙石久盛の子。少年時代から豊臣秀吉に仕え,名は秀久,のち秀康,盛長と変え,また秀久にもどっている。天正8(1580,一説に天正11)年,淡路洲本城主5万石,同13年の四国攻めの功により讃岐一国を与えられ,はじめ宇多津の聖通寺山城を居城とし,次いで高松城の城主となったが,翌年,九州攻めの先鋒として豊後戸次川(大野川)の戦で島津軍と戦い大敗したことを責められて所領を没収され,高野山に謹慎した。のち信濃小諸城主5万石に復し,従五位下・越前守に叙任した。

(小和田哲男)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「仙石秀久」の意味・わかりやすい解説

仙石秀久
せんごくひでひさ

[生]天文21(1552).美濃
[没]慶長19(1614).5.6.
安土桃山時代の武将。久盛の子。秀康,盛長ともいい,権兵衛と称した。織田信長,豊臣秀吉に仕え,天正 13 (1585) 年四国征伐ののち,讃岐国を領し高松城主となった。同 14年九州征伐に際して島津義久に敗れ,封を奪われた。同 18年小田原征伐に参加し,罪を許され,信濃小諸5万石に封じられた。文禄1 (92) 年従五位下越前守に叙任。関ヶ原の戦いでは東軍に属したが,徳川秀忠に従って,上田城主真田昌幸に参戦を阻止された。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「仙石秀久」の解説

仙石秀久 せんごく-ひでひさ

1551-1614 織豊-江戸時代前期の武将,大名。
天文(てんぶん)20年1月26日生まれ。織田信長,豊臣秀吉につかえ,讃岐(さぬき)高松10万石城主となったが,九州攻めで大敗し領地を没収された。のち小田原攻めに戦功をたて信濃(しなの)(長野県)小諸(こもろ)5万石の城主,ついで小諸藩主仙石家初代となる。慶長19年5月6日死去。64歳。美濃(みの)(岐阜県)出身。通称は権兵衛。後名は秀康,盛長。

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367日誕生日大事典 「仙石秀久」の解説

仙石秀久 (せんごくひでひさ)

生年月日:1551年1月26日
安土桃山時代;江戸時代前期の武将;大名
1614年没

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世界大百科事典(旧版)内の仙石秀久の言及

【九州征伐】より

…秀吉は大唐国の征服をも意図し,その出兵基地として九州を構想していたので,島津氏征服はその構想にも好つごうであった。そこで8月,黒田孝高らを九州に派遣して豊前を攻略させ,また仙石秀久を豊後に派遣して島津氏攻略を開始した。さらに12月に檄(げき)を畿内,北陸などの諸国に伝えて20万余の大軍を構成し,翌87年正月に九州攻略の部署を決定し,3月1日みずから京都を出発した。…

【小諸藩】より

…信濃国(長野県)佐久郡小諸城を居城とした小藩。1590年(天正18)仙石秀久5万石の入封にはじまる。秀久の城郭拡張と小諸城下町建設工事の領民酷使は一郡逃散(ちようさん)をひきおこしたが,2代忠政は民政安定につとめ,1615年(元和1)年貢を貫高制から石高制に移行した。…

※「仙石秀久」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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