豊臣(とよとみ)秀吉、徳川家康時代に活躍した武将。賤ヶ岳(しずがたけ)七本槍(しちほんやり)の一人。朝鮮の役に水軍の将として武功を表した。江戸時代に入り伊予(いよ)(愛媛県)大洲(おおず)5万余石の城主。近江(おうみ)国浅井(あざい)郡脇坂村(滋賀県長浜(ながはま)市小谷丁野町(おだにようのちょう))に生まれる。初め明智光秀(あけちみつひで)に属し、ついで豊臣秀吉に仕えた。1583年(天正11)秀吉と柴田勝家(しばたかついえ)とが戦った賤ヶ岳の戦いで七本槍と称される一番槍の功名をたてた。この後、従(じゅ)五位下、中務少輔(なかつかさのしょう)に叙任され、大和(やまと)(奈良県)高取2万石を経て知行(ちぎょう)3万石の淡路洲本(すもと)城主とされた。1590年秀吉の小田原攻めに船手の将として参戦し、朝鮮両度の役にも水軍として出動し奮戦した。1600年(慶長5)の関ヶ原の戦いでは西軍に属していたが、決戦のとき東軍に加わり、本領を安堵(あんど)された。1609年伊予大洲に転封。1615年(元和1)致仕し、京都に閑居し、同所で没した。
[林 亮勝]
安土桃山時代の武将。近江国浅井郡脇坂に生まれる。はじめ甚内を称した。明智光秀に仕え,のち豊臣秀吉に属し,1583年(天正11)賤ヶ岳の戦における奮戦により,賤ヶ岳七本槍の一人として賞される。85年従五位下中務少輔に叙任,淡路洲本城3万石となる。小牧・長久手の戦,九州征伐,小田原征伐に戦功をあげる。文禄・慶長の役では水軍として朝鮮に出動。関ヶ原の戦では豊臣方より徳川方に寝返り,1609年(慶長14)伊予大洲5万3000石を襲封。
執筆者:細溝 典彦
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(藤實久美子)
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