肥前忠吉屋敷跡(読み)ひぜんただよしやしきあと

日本歴史地名大系 「肥前忠吉屋敷跡」の解説

肥前忠吉屋敷跡
ひぜんただよしやしきあと

[現在地名]佐賀市長瀬

承応三年(一六五四)の佐賀城廻之絵図や元文五年(一七四〇)の佐賀城下図などに正光しようこう(現照光寺)のそばに「近江屋敷」(橋本近江宅)と記されているのが肥前刀の刀工肥前忠吉の屋敷である。本家は橋本姓を名乗る。初代は慶長三年(一五九八)長瀬ながせ村から現在地に一族とともに移住して鍛冶屋町を開き、この地は長瀬町とよばれたが、鍋島勝茂をはじめ歴代藩主の保護の下に発展した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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