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鍋島勝茂 なべしま かつしげ

美術人名辞典の解説

鍋島勝茂

江戸前期の大名。佐賀藩初代当主。従五位下信濃守。直茂の長男。佐賀生。幼名は伊勢松、通称は伊平太。長崎御番役の命をうけ、福岡藩と一年交代で長崎警備にあたる。藩制機構を整備して、佐賀藩体制の確立につとめた。明暦3年(1657)歿、78才。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

鍋島勝茂 なべしま-かつしげ

1580-1657 江戸時代前期の武将,大名。
天正(てんしょう)8年10月28日生まれ。鍋島直茂(なおしげ)の長男。関ケ原の戦いでは西軍側でたたかうが,のち徳川家康にゆるされ九州の立花宗茂を討つことで肥前佐賀の支配をみとめられる。慶長12年旧主の竜造寺家が断絶,家督をひきつぐ形で佐賀藩主鍋島家が成立,初代。35万7000石。明暦3年3月24日死去。78歳。初名は信茂,のち清茂。通称は伊平太。

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朝日日本歴史人物事典の解説

鍋島勝茂

没年:明暦3.3.24(1657.5.7)
生年:天正8.10.28(1580.12.4)
江戸前期の大名,肥前国佐賀藩(佐賀県)藩主。幼名伊勢松,通称伊平太。諱清茂,勝茂。従五位下信濃守。従四位下侍従。鍋島直茂の長男。母は石井忠常の娘。肥前国佐賀生まれ。竜造寺隆信の次男江上家種の養子に入るが,文禄の役で家種が戦死し鍋島家に復帰。その後豊臣秀吉に接近,慶長5(1600)年関ケ原の戦では初め西軍に属したが,井伊直政や黒田長政の斡旋で徳川家康に謝罪。西軍立花宗茂を筑後国柳川城に攻めた功によって肥前国を安堵。同12年竜造寺本家の断絶により同家の家督を継承し,鍋島佐賀藩が成立した。寛永14(1637)年島原の乱では,家臣が一番乗りを果たそうと抜け駆けしたことが軍令違反とされ,幕府から蟄居を命じられるなどした。また竜造寺氏から鍋島氏への政権交代はのちに鍋島騒動として歌舞伎,講談で劇化され,勝茂はお家乗っ取りの悪役として描かれた。

(福田千鶴)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典 第2版の解説

なべしまかつしげ【鍋島勝茂】

1580‐1657(天正8‐明暦3)
江戸初期の大名。直茂の子。佐賀藩初代藩主。関ヶ原の戦では西軍に属したが,領地を安堵され,以後徳川氏との関係を中軸にした行動をとり,佐賀藩確立の基礎を固めた。1611年(慶長16)1月に検地に基づく知行宛行を行って領内の知行体制を整えるとともに,家中から30%上知させる三部上地を行わせ,鍋島氏の蔵入地を拡大した。〈鳥ノ子帳〉の制定など佐賀藩の基本的体制を構築した。【長野

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

鍋島勝茂
なべしまかつしげ

[生]天正8(1580)
[没]明暦3(1657)
江戸時代初期の肥前藩主。直茂の子。初名,清茂。通称,信濃守。父とともに豊臣秀吉に仕えたが,関ヶ原の戦いでは徳川方に属し,柳川の立花宗茂と対戦した。大坂の陣にも出陣し,元和4 (1618) 年に家督を相続。島原の乱にも参加。 (→鍋島氏 )

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

鍋島勝茂
なべしまかつしげ
(1580―1657)

佐賀藩初代の藩主。直茂の長男。幼名伊平太。関ヶ原の戦いでは西軍に属したため、戦後苦境にたつ。以後、徳川氏との関係を重視し忠勤に努める。1607年(慶長12)旧主龍造寺(りゅうぞうじ)家の高房・政家(まさいえ)の死去によって、領内指導権を名実ともに確立した。慶長(けいちょう)10年代に総検地を行い、佐賀藩の田制、年貢、知行(ちぎょう)などの基礎づけを行う。42年(寛永19)に幕府から長崎警備を命じられ、警備体制を整える。明暦(めいれき)初期(1650年代中ごろ)に藩法「鳥ノ子帳(とりのこちょう)」を編纂(へんさん)し、法制の整備と領政の基準を定める。以後、「鳥ノ子帳」は藩政の基本となる。明暦3年3月24日没。[長野 暹]

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367日誕生日大事典の解説

鍋島勝茂 (なべしまかつしげ)

生年月日:1580年10月28日
江戸時代前期の大名
1657年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典内の鍋島勝茂の言及

【佐賀藩】より

…肥前国(佐賀県)佐賀に藩庁を置いた外様大藩。戦国期に肥前地域は竜造寺隆信が一応支配したが,1584年(天正12)の島原での敗死により,竜造寺氏から鍋島氏へと実権が移った。鍋島直茂は実権確立に際して豊臣秀吉や徳川家康との関係を強め,統一権力の力を利用しながら領内の統御を進めた。関ヶ原の戦では西軍に属したため,戦後不利な立場に置かれたが,閑室元佶のとりなしにより筑後柳河の立花宗茂の攻撃などを条件に領土が安堵された。…

【肥前国】より

…また1599年(慶長4)対馬の宗氏は薩摩出水郡に領していた1万石の替地として肥前国内の基肄一郡と養父半郡を領有するようになり(田代(たじろ)領),以後明治初年まで同地を統治した。竜造寺氏領ではしだいに実権を掌握した鍋島氏が実質的な統轄者になり,1607年には鍋島勝茂に統治権が認められて,名実ともに鍋島体制になった。佐賀藩の表高は35万7000石であった。…

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