背山村(読み)せのやまむら

日本歴史地名大系 「背山村」の解説

背山村
せのやまむら

[現在地名]かつらぎ町背ノ山

うつり村の南、背山の東麓にある。中世、山城神護寺領かせだ庄に含まれ、田庄が元暦元年(一一八四)に神護寺領として立券された際に作成されたという田庄絵図(神護寺蔵)にも背山東麓に在家が描かれている。慶長検地高目録は「瀬之山村」と記し、村高二三五石余、小物成一・三五一石。丁ノ町組に属し、宝永五年(一七〇八)の伊都郡丁之町組大指出写(中谷正敏氏蔵)によると、家数四三、人数二三三、池六、井手一、船三。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む