脛長庄(読み)はぎながのしよう

日本歴史地名大系 「脛長庄」の解説

脛長庄
はぎながのしよう

京都上賀茂神社領。現揖斐川町脛永はぎながに比定される。寿永三年(一一八四)四月二四日の源頼朝下文写(賀茂別雷神社文書)に「美濃国 脛長庄」とみえ、頼朝は院庁下文に任せて上賀茂神社領の当庄などに対して方々の狼藉を停めて神事用途を備進すべきことを命じているが、この文書は研究の余地がある。「政所賦銘引付」文明八年(一四七六)八月二一日条によれば、加茂山本向武尚なる者が知行していた脛長庄が借金の抵当に充てられていた。また同一二年四月日の装束新調庄役注文写(賀茂別雷神社文書)に「脛長御庄」とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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