日本歴史地名大系 「脛長村」の解説 脛長村はぎながむら 岐阜県:揖斐郡揖斐川町脛長村[現在地名]揖斐川町脛永(はぎなが)揖斐川と粕(かす)川の合流域の南にあり、粕川対岸は和田(わだ)村など、西は沓井(くつい)村(現池田町)。大宝二年(七〇二)の御野国味蜂間郡春部里戸籍(正倉院文書)の春部(かすがべ)里を当地に比定する説がある。中世は脛長庄として推移する。萩永などとも書く。天正一七年(一五八九)一〇月一五日の検地帳(小川文書)によれば田畠一〇八町六反余・米都合一千三九二石余、名請人二三四人となっている。同一九年三月四日の脛長村百姓中申状案(阿子田文書)によれば、当村「ひら野」では従来より草芝を採り二貫五〇〇文の公方年貢を納めてきた。南の池田(いけだ)郷とは境目がなかったが、検地の際に境を決められたことから池田の者と争論が起き、稲葉一鉄の命により当村の家が放火されたという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by