興田北庄(読み)おきたきたのしよう

日本歴史地名大系 「興田北庄」の解説

興田北庄
おきたきたのしよう

興福寺雑役免田。延久二年(一〇七〇)の興福寺雑役免帳の城上しきのかみ郡に「興田北庄十六町九反二百六十歩 不輸免田畠三町七反 公田畠十三町二反二百六十歩」とある。不輸免田畠の内訳と条里(括弧内は坪数)は、大神おおみわ社神田五反が一六条一里(一)、大蔵省田二丁七反が一六条一里(三)穴師あなし(現桜井市の穴師坐兵主神社)田五反(条里記載なし)である。公田畠の条里は一五条三里(二)、一六条二里(五)・三里(六)、一七条二里(四)・三里(一〇)・四里(二)である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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