船塚山古墳(読み)ふなづかやまこふん

日本歴史地名大系 「船塚山古墳」の解説

船塚山古墳
ふなづかやまこふん

[現在地名]御津町広石 船山

船山ふなやま古墳ともよばれる。広石ひろいし銅鐸出土地の東南およそ五〇〇メートルにあり、低く延びる新宮しんぐう山支丘の最先端を切断して造営された前方後円墳。標高約一四メートル。前方部を南西に向け、全長三七メートル、後円部高三・五メートル。前方部高は後円部のそれよりわずかに低い程度で、形態的にはやや新しい型に属する。人頭大から拳大の川原石を用いた葺石が全面にみられ、段築の状況をよく残す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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