音羽(読み)オトワ

デジタル大辞泉 「音羽」の意味・読み・例文・類語

おとわ〔おとは〕【音羽】

東京都文京区西部の地名。護国寺門前町として発展。音羽局おとわのつぼねが徳川家からこの地を給されたのでこの名があるとも、護国寺を京都清水寺に模して、清水観音の音羽の滝にちなむともいわれる。

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精選版 日本国語大辞典 「音羽」の意味・読み・例文・類語

おとわ おとは【音羽】

東京都文京区南西部の地名。徳川氏に仕えた音羽局(つぼね)に給された地で護国寺の門前町として発達江戸末期には私娼の店が多かった。

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日本歴史地名大系 「音羽」の解説

音羽
おとわ

関口せきぐち台と小日向こびなた台に挟まれた低地(かつての弦巻川の流域)および周辺の通称。一帯は元禄一〇年(一六九七)に護国寺の観音堂建立に併せて同寺に寄進された。護国寺領となった地は「徳川実紀」には「寺前の市井百石の地」とあり、「風土記稿」によると雑司ヶ谷ぞうしがや小石川小日向関口巣鴨すがもの五ヵ村の耕地と備中松山藩主安藤氏(のち美濃加納藩主を経て陸奥平藩主)の屋敷の一部など(合せて高一〇〇石)であったという。護国寺の表参道にあたる地で、門前町としての町屋起立が許され、のち東西の青柳あおやぎ町、音羽町一―九丁目・桜木さくらぎ町の各町に割られ、正徳三年(一七一三)町奉行支配となった。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「音羽」の意味・わかりやすい解説

音羽
おとわ

愛知県南東部、宝飯郡(ほいぐん)にあった旧町名(音羽町(ちょう))。現在は豊川(とよかわ)市の北西部を占める一地区。1955年(昭和30)赤坂町と長沢、萩(はぎ)の2村が合併し、町中を流れる音羽川の名をとって音羽町と改称。2008年(平成20)豊川市に編入。名古屋鉄道本線、国道1号が通じる。東名高速道路音羽蒲郡(がまごおり)インターチェンジがあり、そこから音羽蒲郡道路(三河湾オレンジロード)が分岐する。中心地の赤坂は東海道五十三次の宿場で、赤坂―御油(ごゆ)両宿間はわずか1.7キロメートルほど。その間600メートルにわたって松並木(国指定天然記念物)がある。宿場町の名残(なごり)をとどめ、いまも商店が立ち並び、関川神社には「夏の月御油より出でて赤坂や」の芭蕉(ばしょう)句碑が建っている。地域は住宅化が進み、工業団地も造成されている。南端にある宮路山は紅葉の名所として知られ、付近は三河湾国定公園に含まれる。

[伊藤郷平]

『『音羽町誌』(1975・音羽町)』『『音羽町史』全6巻(2001~ ・音羽町)』


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「音羽」の意味・わかりやすい解説

音羽
おとわ

愛知県南東部,豊川市北西部の旧町域。豊橋平野の西端に位置する。1955年赤坂町,萩村,長沢村が合体して音羽町が成立。2008年豊川市に編入。中心集落の赤坂は,江戸時代は東海道の代表的な宿場町。東海道本線開通後,要路の地位は海岸沿いに移った。名古屋鉄道名古屋本線の開通後は豊橋市,岡崎市方面への通勤者が増え兼業農家地帯となった。三河赤坂台,グリーンヒル音羽などの住宅団地が建てられた。北東部は本宮山県立自然公園,南部は三河湾国定公園に属する。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「音羽」の解説

音羽 おとわ

?-? 江戸時代中期の遊女。
江戸新吉原兵庫屋の抱え。醤油問屋丹波屋七郎兵衛の甥(おい)の七之助と夫婦約束をする。享保(きょうほう)16年(1731)七之助が丹波屋の跡つぎときめられたため,将来を悲観したふたりは心中をはかるが未遂におわり晒(さら)し刑に処せられた。

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改訂新版 世界大百科事典 「音羽」の意味・わかりやすい解説

音羽 (おとわ)

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世界大百科事典(旧版)内の音羽の言及

【赤坂】より

…宿駅の近くには,持統天皇や源頼朝の宿泊跡と伝えられる宮路山がある。1894年町制,1955年音羽町となった。【渡辺 和敏】。…

※「音羽」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」