広石村(読み)ひろいしむら

日本歴史地名大系 「広石村」の解説

広石村
ひろいしむら

[現在地名]六日市町広石

沢田さわだ村の北に位置し、吉賀よしが川が村の中央を貫流する。広石上・広石下の集落がある。安芸廿日市あきはつかいち街道が川に沿って立戸たちど村より当村を経て沢田村に至る。正保国絵図に広石とあり高四四一石余。明治四年(一八七一)の万手鑑は広石三ヵ村として当村・立戸村・注連川しめがわ村をあげる。当村の古高四四一石余、寛永一四年(一六三七)の検地高三六五石余、明治四年の総高四八三石余、家数七三(卒三・本百姓六六・社家一・寺一・医師一など)・人数二七七、牛四七・馬一、米蔵一、大岡おおおか神社、宗安そうあん寺、鉄砲一〇、紙漉舟三五。


広石村
ひろいしむら

現在所在地は不明。建武三年(一三三六)三月一一日の阿蘇社領郷村注文写(阿蘇家文書)の中司権大宮司が沙汰する東郷の村分のなかに「一所四町 広石村」とある。至徳四年(一三八七)八月日の阿蘇郷村并宮地四面内天役注文(同文書)では一貫四〇〇文分の天役(臨時雑役)が広石に賦課されている。応永九年(一四〇二)四月日の阿蘇社造営料木郷村支配注文案(同文書)によると、飛檐木など六本を応永八年分として課せられており、文安五年(一四四八)八月一八日の阿蘇社造営木屋勤仕人数番定(同文書)には「木屋ニ斧持可被進人数事」の中に今村六郎四郎知行分として「ひろいしの内」とみえる。


広石村
ひろいしむら

[現在地名]緒方町平石ひらいし 広石・大野おおの栩川とちご

大無礼おおむれ村の南西尾尻おじり川上流域にある。元禄見稲簿の岡領御絵図ニ出分には馬背戸ませど村の内として広石村とある。元禄・天保両郷帳では馬背戸村に含まれるとみられ、旧高旧領取調帳では高一八六石余。安永七年(一七七八)には馬背戸組に属した(大庄屋・小庄屋・横目一覧「農民一揆」所収)


広石村
ひろいしむら

[現在地名]御津町広石

国府こう(現豊川市)の南西三キロの位置にある。村域境西南に標高九四・四メートルの御津山がある。国府からは字蛇塚じやづかを経て赤根あかねに至る豊川とよかわ道が通る。「御津村誌」には「御津神社アリ。今此社御津ノ庄広石ニ在リ。御津ト云フ称ハ、近村森下、茂松、灰野、金割、丹野、山神、赤根、大塚、大草、泙野及ビ西方ノ十二ケ村ノ庄号トハナレリ。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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