御津町(読み)みつちよう

日本歴史地名大系 「御津町」の解説

御津町
みつちよう

面積:一七・九七平方キロ

揖保郡の南西端に位置し、東は揖保川を隔てて姫路市、北は山を境に揖保川町、西は相生市、南は瀬戸内海に面する。苅屋(かりや)漁港・岩見(いわみ)漁港・室津(むろつ)漁港があり、海上に地(じ)ノ唐荷(からに)島や家島(いえしま)群島を眺望する。近年旧石器時代の碇岩南山(いかりいわみなみやま)遺跡・中島灯明田(なかしまとうみようでん)遺跡が発掘された。とくに碇岩南山遺跡は播磨南部で初めて良好な土層状態を示すことが判明した。縄文・弥生時代の集落遺跡は石器や土器が出土した遺跡が二、三あるが、遺構は発見されていない。墳墓では岩見北山(いわみきたやま)遺跡から土器・後漢製内行花文鏡が出土した。


御津町
みつちよう

面積:一一四・〇〇平方キロ

御津郡南部に位置し、東は赤磐(あかいわ)郡山陽(さんよう)町・赤坂(あかさか)町、北は建部(たけべ)町、西は加茂川(かもがわ)町、南は岡山市に接する。町の中ほどを北から南に流れる旭川が宇甘(うかい)川・新庄(しんじよう)川などの支流を集め、町を二分する。集落はこれらの川の流域に開けた平地や盆地を中心に分布する。主産業は米・野菜・ブドウを中心とする農業であるが、特殊な工業として旭川左岸の建部町境に弁柄工場がある。町のほぼ中央をJR津山線が南北に走り、岡山市から津山市に至る国道五三号が旭川沿いに通る。金川(かながわ)には江戸時代にキリスト教とともに禁止されていた日蓮宗不受不施派本山妙覚(みようかく)寺、鹿瀬(かせ)には日蓮講門宗本山本覚(ほんかく)寺がある。

明治二二年(一八八九)の町村制施行により、赤坂郡内に五城(ごじよう)村・葛城(かつらぎ)村、津高(つだか)郡内に牧山(まきやま)村(一部は現岡山市)、宇垣(うがき)村・金川村・宇甘東(うかいひがし)村・宇甘西村が成立。


御津町
みとちよう

面積:一七・二一平方キロ

北は音羽(おとわ)町、北東から東にかけて豊川市と小坂井(こざかい)町、南は三河湾に面し、西は蒲郡市に囲まれている。「和名抄」所載の宝飯郡御津(みつ)郷の故地とされる。「続日本紀」の大宝二年(七〇二)一〇月一〇日条によると、持統上皇の三河国御幸がみえるが、これは「万葉集」の長忌寸奥麿・高市連黒人の歌により伊勢国から海路引馬野(ひくまの)・安礼の崎(あれのざき)に至った様子が知られる。おそらく音羽川河口付近より上陸したものであろう。

町域内にはいくつもの古城跡が知られ、中世末期以後土豪が各地に興亡を繰返しながら順次統合されて近世に入っていったものとみられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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