草加部庄(読み)くさかべのしよう

日本歴史地名大系 「草加部庄」の解説

草加部庄
くさかべのしよう

近世の草加部郷を遺称とし、現内海町の南部一帯に比定される。塩の生産地であった。応永四年(一三九七)の草加部八幡宮鰐口銘文に「小豆島草賀部荘八幡宮」(新修香川県史)、同一四年の同宮鰐口銘(古鐘類聚)にも庄名がみえる。応永元年頃成立の別宮八幡宮縁起(別に紀氏旧記・小豆島八幡宮縁起ともいう)の記事によれば、その頃当庄および肥土(ひと)庄の領家職三分の一は小豆島を領していた細川頼之の奉行人矢野徳久(備後守遠村)が知行し、「中殿」が代官で、残りの三分の二は宇多津(うたづ)(現綾歌郡宇多津町)の長興(ちようこう)寺(讃岐安国寺、のち廃寺)造営料所に充てられ、当庄は中忻都寺、肥土庄は永了都寺が庄主として知行していたという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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